2024年5月6日 Asueアリーナ大阪
第72回黒鷲旗全日本男女選抜バレーボール大会決勝
岡山シーガルズはチーム創設後初めて国内主要大会で優勝した。
優勝の瞬間、宮下遥選手の現役が終わりを告げた。
思えば14年にも及ぶ女子バレーボール選手としては長きにわたる現役生活、宮下遥ほど多くの人に愛されるセッターはいなかった。
同時にこれほどまでにアンチファンの多いセッターも、これまで存在しなかったのではないか。
14年前、宮下遥と言う少女の登場は、紛れもなくこれまでの日本バレーボールのセッターの概念を超える存在になることを期待させた。
10代でサーブ、ディグ、ブロックはすでにトップレベルの域にあり、177cmの身長から繰り出すトスも、高い位置でハンドリングできるため、これまでのセッターより早い攻撃が期待できた。
誰もが認める類稀なるバレーセンスを持ち合わせた稀代のプレイヤー。それが宮下遥であった。
そんな宮下遥は、コート内で眩いばかりの強烈な光を放つ。
しかし、その反面、試合に敗れると、「セッターとはこうだ!」という固定観念を持っているオールドファンやバレーボール関係者から見れば、宮下遥という存在は、自分たちの従来の考え方を否定するものでしかなかった。
日本女子バレーボールは、ロンドン五輪で銅メダルを獲得したが、それまでは長期に低迷していた。
ロンドン五輪ではギリギリのところで中国に勝ち、3位決定戦で韓国に勝って銅メダルを獲得した。
この28年ぶりの銅メダル獲得は素晴らしい成績であり、選手やスタッフの努力の賜物であることに異論を挟む余地はない。
しかし、長期低迷中だった日本女子バレーボールが復活したとまでは言えないというのが私の率直な感想であった。
当然、次に銅メダル以上を獲得するためには、長期計画を立て有望な選手を育成していくべきであったにもかかわらず、協会は短期的な視点しか持ち合わせず、リオデジャネイロオリンピックが終わってから、宮下を冷遇し始めた。
もちろん宮下個人にも問題がなかったとは言えないが、もう少しナショナルチームが長い目で宮下を真の正セッターに育成していれば、東京五輪であのような惨敗は少なくとも喫することはなかったのではないか。
セッター論争など本来は起こるべきものではなく、「セッターはこの選手だ!」と決めたら、少なくともオリンピックは2大会合計8年間は一人の選手に任せるべだ。
それぐらいセッターと言うポジションは日本バレーボールにとって重要なポジションである。
にもかかわらず、日本代表は迷走を続けた。
富永、田代、関、籾井、松井・・・・・
セッターを大会ごとにコロコロと変え、チームの核ができないまま主要大会に臨むという愚挙を繰り返した。
今回の黒鷲旗を観戦して、やはり宮下遥がゾーンに入った時の集中力とプレーの鋭さは、既存のセッターの域を凌駕するものであることに間違いはなかったと確信した。
それほど宮下遥と言う選手は日本バレーボール史上、唯一無二の存在である。
最後にファンが一番喜んだのは、彼女がオリンピックで金メダルを取ることではなく、彼女の「やり切った。」という気持ちであっただろう。
ありがとう!ハルカ!