「苦労をかけるね」「ありがとう」
私にくれた母からの最後の言葉
苦労なんて思わないのに……
この言葉をくれた次の日に言葉が話せなくなりました。
朝早く病院から発熱と意識が朦朧としていると連絡が!
急いで駆けつると、あまりもの変わりように涙が止まらなかった……。
癌という病気は急激に悪化するのが特徴なんだそうです。
「お盆に家に帰る予定だったけれど帰れないかも……」「歩けなくなっちゃった」
悲しそうに話してた母の言葉が残っていたので、意識があるうちに家に帰してあげることを決断
主治医の許可を貰い家に帰りました。
先に家に帰って準備をしていたので後から聞いた話では、母は病院を出るときに手を振ってたそうです。
最期まで面倒を見る気持ちで色々と準備もしました。
でも……
病院で長くないことを聞いていたこともあり、そろそろかな?と感じました。
母は誰かとお話をはじめました。
顔を左右にゆっくり動かしながら、一人一人に聞き取れない言葉でしっかり目を開けて話していました。
お迎えに来てくれたの?
「そろそろ彼方にいくよ」ってお話をしてたのかな?
亡くなった人が迎えに来てくれると言う話しは聞くものね。
父?祖母?祖父?友達?愛犬?
と思いながら様子を見ていました。
沢山の方とお話をして、一通り話し終えると一転を見つめてゆっくりと呼吸
娘たちに迷惑をかけたくないって言ってたからね。
苦しい思い、痛い思いはしたくないって言ってたね。
一秒でも長く傍にいて欲しい私の気持ち。
母にとっては……。
延命処置を望んでいなかった母の言葉を尊重してあげようと決めていました。
父の時には、父がどうして欲しかったのかを聞いておかなかったので、自分の気持ちを優先にしてしまったという後悔がありました。
母には日頃から聞いていておいて良かったと心から思います。
母の姉弟も会いに来てくれて、ご近所の方も会いに来てくれて、訪問看護でお世話になった看護士さん達も会いに来てくれて、少しずつ呼吸が遅くなる母の手を握ってくれました。
皆が帰り、母が過ごしていた部屋で最後の時をゆっくりと親子3人で過ごしました。
声だけは聴こえていると言われていたので、沢山沢山話しかけました。
涙でぐちゃぐちゃになりながら……。
手の指の先が紫になってきたら、、、
と言われていたので、その時が来たと感じました。
体も冷たくなってきて、、、
手がカクッと動いた瞬間
静かに眠るように旅立ちました。
最期の最期まで誰にも迷惑をかけず。
痛みと苦しみから解放されました。
訪問看護士さんから言われたこと
最近では自宅で最期を迎える人が増えているそうです。
コロナのために病院内で会える人が限られているので自宅に連れて帰るって。
「最期を一緒に過ごせて良かったね」と言われました。
どんなに近くに住んでいても、1人で旅立たせてしまう人も居るって。
主治医からも「自宅で看取ることは家族の理解や協力がないと出来ないことなんだよ」と言われました。
先が見えないことだからって……。
ああすれば……こうすれば……
後悔すればいくつも出てくるけれど、此れから生きるための教訓として頑張ろうと思います。
母が父の居るお墓に入るまで、私は母と一緒にいます。
母を一人ぼっちにはしたくないからね。
母が旅立った後
全てのことがトントン拍子で進んで行く。
亡くなった後も私達が困らないように母が段取りしてくれているようです
本当に最高の母です。