中学生失格が更に一万部増刷されることになりました
合計5万部になりました。
皆さん、本当にありがとうございます。
さて、中学生失格には書ききれなかったことを書きたいと思います。
次、また本が出せた時に…って思ったんだけど、時間は経つものだし今書かなきゃなーと思って。
まぁ、まずどのくらい芸能界が嫌だったかと言うと、ものすごく嫌だったかな。
学校行事(小学校の運動会とか)も出れない、誕生日も仕事…ってなると、当時は本当に嫌でしたね。
あとは「遠い存在」って思われるのも嫌だったな。
小学生の頃、水着の写真集を出したときは、家族は誰も反対してくれなくてまずショック。
私の将来はグラドルとかAVなのかなって思ってた。
でも、そんな不安も取り除いてくれたのは握手会や写真集を買ってくれた暖かいファンの皆さんでした。
本当に今でも感謝です
プライベートが楽しすぎた中学時代は苦痛なときもあって、インターネット上の中傷や週刊誌など、友達や彼氏のことまで書かれたのは痛かった。
自分のことはまだしも、友達とかは守りたかったから「友達の文句はうちに言え」と自ら電話番号を晒したこともあります。
勿論、非通知ばかりだったけど他の人は巻き込みたくなかった。
ってとこから、
過去があるから今もうまくいかない。
って思っちゃって、昔の写真やポスターなど片っ端からハサミで自分の顔をブスブス刺していきました。
ママはそれをただ泣きながら見てただけ。
でもその時は、親の泣き顔を見ても全くなんとも思わなかったですね。
理由を挙げるとしたら、
私は金の成る木にしか見られてないと思ったから。
そして、自分自身(母)の周りからの評判が下がると思ったから。
仕事辞めるなら大学まで行って自営業しろ。
仕事続けるなら中卒でもいい。
と言われ続けた当時は、親に金のためだけに生かされてる。としか思えなかった。
でも本当に本当に辞めたかった。
だから、カテ教雇ったり塾も通って勉強を頑張ったこともあった。
だけど、家族の愛とゆうものが今だによく分からないし、今は母と仲良くやってるけど仲良くなれるなんで当時は全く思ってなかったです。
自分には自由というものはない。
こんな命ならいくらでもくれてやる。
と本気で思ってました。
でも、そこから救ってくれたのは地元の友達や先輩。
喧嘩をすることやぶつかることもあったけど、中3に上がる頃には皆仲良くて、それは今でも変わらず仲良しのまま。
勿論私の中学時代は正しいことはしてないし、悪いとこは沢山ありました。
では、なんであれだけ嫌だった芸能界を復帰したのかと言うと、
うーん、なんでだろうな。
正直自分でも全く分からないです。
自信もないし、また迷惑もかけたくないし。
でも、1番大きいのは環境の変化があったから。
定時も中退してしまって、再び遊びに没頭していた時期から、このままじゃいけないとやっと思って、地元を離れて一人で東京へ出て、一人暮らししてから色々と変わりました。
まだまだだった私を、今の事務所が拾ってくれて、まさか再びテレビに出れるとは思ってもなかったです。
時間が経った今、
誰かのためにまた頑張りたいと思えてちゃんと戻ってきたんだと思います。
私がテレビを見る側になって、元気づけられたことは沢山ありました。
考えれば中学生のときは自分1番に考えて好き放題してた面があったから、
誰かのために頑張りたい。
だから「ブログ見て元気もらってます」とか「もっとテレビ出てほしい」とか今は凄い嬉しい言葉です。
皆さんがいるから頑張れると本当に思う。
ありがとうございます。
そういえば、中学のときの生徒指導からがきました☆
「おんめぇ良いこと書けよ!」
と言われた(笑)
中学の生徒指導には大感謝です。
THE・宮本先生(´・ω・`)
唯一、見放さず出席日数を気にして毎朝迎えに来てくれて、高校を受け入れてくれなくて幻滅してた私に手作り合格祈願をくれた優しい先生
いつになっても感謝です。
宮本以外にも、田邉と教頭が好きな先生でした
そんな中学時代がたっぷりつまった中学生失格を沢山の方に手にとってもらえて嬉しいです。
これからもよろしくお願いします