こんにちは、ちむです。

 

今日は東洋経済オンラインで読んだ記事「日本人はなぜ論理思考が壊滅的に苦手なのか」を読んで、前から思っていたことを書いてみようと思います。

 

以前「論理的思考を育む家庭環境」でも書きましたが、批判的思考や論理的思考はそれが周囲に認められなければ(例えば親や先生に褒められなければ)子供達はだんだん考えることを辞めていきます。日本では議論をふっかけたりすると「理屈っぽい」と倦厭されますよね。

 

これはめちゃくちゃ偏見ですが、私は日本に住んでいる白人男性が苦手でした。大体彼らは日本に来ると白人で目が青くて…というだけで女の子がいっぱい寄ってきて、日本人女性をバカにしている人が多いと感じていました。でも彼らと仲良くなってみてよく言われるようになったことがこれ。

 

「君、日本人なのに話ができるんだね。」

 

それから彼らは「遊び相手候補」じゃなく「友達」として私を扱うようになりました。

 

でも例えば日本人男性が「安倍政権についてどう思う?」と日本人女性に聞いたときに、日本人女性が求められているのは具体的な自身の考えを表明することではなく

 

「え〜、そんなのわかんない。」

「そんな難しいこと知っててすごいね」

 

とインテリっぽいことを言う男性をちやほやすることで、彼女達はその暗黙の期待に応えているだけなんだな、と気付きました。(私は議論に乗っちゃうので男社会の一員としては仲良くしてくれるけど、モテはしないタイプ笑)

 

日本では相手の意見に反論すると「人格を否定された」と感じる人が多いように感じます。特に年下からの反論ともなれば「反抗的だ。バカにされた。」と感じてしまい、それで感情的になってしまう。でも、もっと日常的に「あ〜、そういう考え方もあるか。おもしろいね。でも私はこう思うけどね。」と意見と人格を切り離して、議論を楽しめる人が増えれば、そしてそういう人たちが親になれば子供達も論理的思考を楽しめるようになるんじゃないでしょうか。

 

私の同僚で、奥さんと産後うまくいかなくなり離婚寸前までいった人がいます。今はなんとか立て直しているようですが、彼が言うには「これまでは阿吽の呼吸でやってきた。でも子供ができてそのキャパを超えた。それでもぶつかるのは嫌だから話し合いをしなかった」と。彼はアメリカでも教育を受けてきた人ですが、それでもやっぱり家庭では超日本的なんだなとビックリしたことがあります。

 

「話し合う・議論する=ぶつかる・喧嘩」

 

この価値観を脱しない限り、日本人のロジカルシンキングは育たないんじゃないかなぁ〜と心から思います。そして、論理的に議論する力がなければ、英語ができても意味ないですよね。話す内容がないんだから。

 

長くなってしまって結局whyとwhatの話ができなかったので、次回に続きます〜。

 

 

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