最近、「親ガチャ」というワードを

よく聞きます。

昨日のワイドショーでも論争されてて
興味深く見てました。


「親ガチャ」とは

自分の両親や生まれた家庭環境は選べない、

言ってみれば完全な運任せであることを

ソーシャルゲームの「ガチャ(=クジ引き)」

になぞらえた言葉だそうです。



「あの人は親ガチャに当たった。

うらやましいー」

「私は親ガチャに外れた。残念、、」

なんていうように使うのかな?



この世の中は

他力より前に、自力あり。

なんの努力もしないで

人のことを羨ましいと言ってるだけじゃ

人生は何一つよくならない

そう信じて生きてきた私達の世代。



でも2020年代

そんな言葉も世迷言になりそうな現実が

(昔からあったのだけど今はキッパリと)

あるのですね。



自分が努力するかどうかよりも

「運(親の遺伝子、親の所得、

親が与えてくれる生活環境、人間関係)」が

人生においては決定的にモノをいう



「努力できるかどうか」すらも

「運」によって影響を受けてしまう



これは歴然とした科学的真実



統計的に、、と示さると

身も蓋もなくなりますね。





主旨には少し逸れますが、

斎藤一人さんが

「そのままの価値」について

おもしろく書かれていました。

親ガチャのことを考えた後に、

何だかホッとしました。


ミカンは果物です。

デザートには向いていますが、

主食にはなりません。

そんなミカンに「おまえ、主食になれ」

と言ったところで、

ミカンは主食になることはでいません。

ミカンは「自分に欠陥があるのか」

と悩むだけです。

ミカンはミカン、

そのままで完璧なのです。