第2次中南米争奪戦~やっぱり欧米か 2
中南米(現在のアメリカ合衆国の西南部、西部地域はスペインが、1700年代中盤まで放置ということで)は基本的にスペインもポルトガルも新大陸発見した船の幹部や、
原住民を殺しまくって制圧した軍人(ゴロツキ)、本国の(没落?)貴族と言った連中が副王だ長官だ現地貴族ということで10~30の帰属がこの各植民地を山分けする
大地主になります。本国には(とういうか王室には)ミカジメ料(金銀銅であったり特産品)を払うシナ大陸方式でした。
これが、現在中南米の諸国が分かれている遠因ですが、一発搾取を夢見て多くのゴロツキ、船長やこれに理由付けのための腐れカトリック坊主が同行します。その数が増えるにしたがって早く見つけたもの勝ちですので、スペイン、ポルトガル人、雇いのコロンブスのような現在のイタリアやギリシャなどの出身者同士の縄張り争いの結果ともいえます。
北米も英国植民地もカナダの大西洋海岸線ニューファンドランド(ボストンの上)は軍事関連基地で(この地域仏と争ってはいましたが)と周辺は王室領、沿岸を南下する方は
英貴族領土として大農場が開かれてきます。1610年代の終わりから囚人(過激政治運動や労働運動で反政府派の囚人が多かったそうですが)の移送はじめ推計数万人を数えたころ米国人の大好物メイフラワー号の清教徒が1620年代になるとやってきます。
ここから北米13州(カナダの軍、王領以外)が自由移民州に解放されていきます。
尚、米国が独立するとこの囚人の移送を豪州に移さざるえませんでした
で中央部のフランス領、余り興味がなかったのか開拓するような土地も厳しい環境が
多かったのか、毛皮の輸出などと軍事的な拠点でニューファンドランドからケベック
(モントリオール)地区に移民が固まったようです。シカゴやルイジアナなども英国領
になり、更に米国に売却されてから栄えた節があります。
ケベック地区にはフランス革命で逃れてきた一派が住み着いたとも言われ教養水準は
高かったのでしょう
こう言ったことから、後述しますが、200年だ350年だの時間植民地であり続けたわけで、1世からもう10代以上になる人たちもいるわけです。又、中南米の国々が独立
しても、血で血を争う解放戦争を何十年も繰り広げてもいないので、本国(旧宗主国からの人の流れが止まることも特にありませんでした。