実際、現在のアメリカ合衆国に渡ったやつってどんなんだったのだろうか 9

しかしながら、一度内戦を経験した議会派軍は寄せ集め最早素人の

烏合の衆ではなく、潜伏している国王よりも素早く戦費の資金集めが

できたと言われています。

結局6ケ月で、王党派軍は降参。ダラダラと交渉を先延ばしする

長老派を議会から締め出しロックアウト状態にし。

遂にクロムゥエルが国王チャールズ裁判が決行約1ケ月後に死刑判決が

翌年1648年1月30日死刑執行。最後の抵抗勢力の残党を一掃した

5月30日時を同じくしてクロムゥエルは王政復古の1660年まで

イングランド共和国の樹立を宣言。即日貴族院の廃止を決定します。

一方、スコットランド議会派前日29日にチャールズの息子を

チャールズ2世として即位を承認することを決定。彼はフランス人の

母とパリに亡命その後姻戚のオランダ ウイレム家のハーグに身を

おいていました。結局彼が後に王政復古を果たし。

クロムゥエルの息子リチャードが無能な愚息であることがわかってしまいます。

尚、メーフラーワー号で米植民地に渡ったピョーリタンよりも更に清教徒原理

主義とも言えるクロムゥエルはブリテン島が落ち着いた1650年アイルランド

に10倍返しの大群送り込みカトリック狩りを全アイルランドでくまなく行います。

この圧政と1600年末から1800年にかけてのジャガイモの大飢饉でアイルランド

から北米、豪州、NZ,南アフリカなど大量の移民が英連邦の地域に吐き出されて

行きます。