差別を商売にしていた時代1
赤い営業戦略の対差別者(と勝手に認定した)向け慰謝料、賠償金、にメディア ミックスでお涙ちょうだい、差別に立ち向かう出版物、講演会を支援する赤テレビ、新聞との
コラボの時代ですが
100年もしない前は、差別を逆手に取って商売が盛んだったわけです
ま~、大体は身体的に病気や奇形がある人間を当時見世物として見世物小屋
今でいえばテント型ライブ箱でしょうか?
特に、世界中に搾取ネットワークを張り巡らした大英帝国、英国人のみならず世界的
今で言うならグローバル人材をひっかき集めてきます。
中世までは、地中海沿岸の欧州人は、中央アフリカ(サウジが多くの面積
を占める)は意外と対岸のアラビア半島に近くここから移動(反奴隷も
含めて)した黒人は見られましたが、それ以外の欧州地域は黒人を実際に見たことも
ありませんでした。
新大陸北中南米向けの奴隷として欧州人がアフリカ奥地に入っていくと
黒人というだけで欧州に連れて帰り見世物にしたというのです。
この辺、新大陸で奴隷の方が悲惨だったのか、欧州に来て見世物にされたほうが
良かったかいろいろ見解もわかれます。
と言うのは北米のインディアン(しかし、西に領土拡大しはめた、金鉱、金脈狙いの
西斬~フロンティア運動でチャラにしてしいまいます)を殺しまくり、
中南米では実質奴隷のように原住民インデイオを酷使し大量に死亡者が出ます。
この穴埋めに黒人奴隷を使ったので、原住民に対する仕打ちよりは緩かった
のではないかとの説あります。ここで黒人労働者に早死にされたら元も子もない