第2次中南米争奪戦~やっぱり欧米か 3

 

中南米の独立はカリブ海や大西洋の諸島を除くと、フランス革命、米国独立紛争?戦争?ナポレンオン戦争(甥のルイの戦争も含む)が非常に影響を与えたと言って良いでしょう。

1700年末から1800年中盤にかけての話です。

1500~1600年代に中南米から金銀財宝やら食物やら散々巻き上げたポルトガル、

スペインですが本国では複雑な欧州情勢に翻弄されてどんどん国力を失って行きます。

 

確かに、搾取をするだけで国内に再投資もせず、富は庶民ではなく王室や貴族、軍人、大商人、教会幹部に集まっただけで怠惰で国力維持できず、軍事も含めた産業革命やら近代化に追い付けず没落したということになっています。

勿論、これも事実ですが欧州情勢にもてあそばれた悲哀もうかがえます。

勿論、日本の教科書は南米のことなどほとんど無視。西、に関しても、キリシタン大名から秀吉あたりで終了します。

 

スペインは略奪しきったマゼランだなんだが、太平洋諸島でも暴れまわり、フィリピン、グアムあたりもきっちり占領、搾取します。バナナやパイナップル、マンゴー、パパイヤ

などの果物。ゴムや鉱物資源もきっちり押さえます。

 

ポルトガルはインドを寄港地として港を開かせ、マドラスとかですね。紅茶類から香辛料を欧州に輸出し巨利を上げ、英仏に侵攻されるまで荒稼ぎします。あれ?インドにもともと住んでる人はどうなってんの?

ポルトガルはアフリカ周りでのインドからアジア、逆に南米に渡る航路を発見しており

1700年代に入ると現在のアフリカのアンゴラ、コンゴの一部、モザンピークなどでの

ダイヤなどの宝石から鉱物資源をきっちり搾取します。ここ中部アフリカでのライバルが

あの小国ベルギーで、現在でもベルギーやポルトガルが宝石鑑定の権威の国

とは。。。んで、中部アフリカにいた連中は?新大陸へ奴隷で出されたの?

 

国力は落ちているとは言え、中南米以外にも西・蜀は草刈り場確保しており、はちゃっかり1800年代英清、仏清の戦争のドサクサでマカオをゲットするという搾取の巧者ぶりをいかんなく発揮します。