実際、現在のアメリカ合衆国に渡ったやつってどんなんだったのだろうか 6
この清教徒~過激派ピョーリタンがアメリカの植民地に向かう前後英国は
どうなっていたのか
1618年、神聖ローマ帝国内のカトリックとプロテスタントとの縄張り
争いに端を発した小競り合いが欧州中を巻き込む一大宗教戦争に30年物
間断続的に続く凄惨な殺し合い相手方の教会に火をつけ街中を燃やし狂う
など狂気の沙汰ではありませんでした。
ここに一人の馬鹿がスコットランドの由緒正しい世継ぎとして誕生します。
スコットランド王で、後にイングランド王も兼任し、征服したアイルランド
国王も兼ねたチャールズ1世という男です。
この男、神に選ばされた男でありかつ国内外の謀略に長けていると真剣に考えていた節があります。
よせば良いのフランスのブルボン家がこの機にライバルの神聖ローマ帝国(現在の独、墺)
のハプスブルグ家潰しに加担します。余り欧州戦線に影響及ぼすとも思えない、
スゥエーデン、デンマーク、ノルゥエー、バルト諸国に英国から援助してカトリック
潰しの鉄砲玉にしようとします。
ノルマン征服の後始末(フランス内にイングランドを征服したノルウエー系仏人の
ノルマンジーの土地が多く残っており現在でも続いている)からイングランドと
フランスは冬のオフの停戦を除きもう数百年間もルーチン ワークのように戦争しています。
しかしながら、小国スコットランドはイングランド嵌めたり優位にたつために
何度もフランスと同盟をしたり密約をしている歴史があるので、チャールズ自体
フランスとの同盟にあまり抵抗感がなかったのでは無いかというのは思い過ごしでしょうか?
一方、国内ではこの戦費の借金が膨らみ、議会や貴族更にこの当時の構造改革で
出現し始めた民間出身者の農場地主層(ヨーマン)の権利などを制限していきます。
議会で文句を言われれば私は神に選ばれた権利を有する王「王権神授説、divine right of kings」を言い出す始末で王党一派と議会の対立は一触即発になります。
この機に乗じて謀反おこしたのがアイルランドを占領されていたアイルランド