実際、現在のアメリカ合衆国に渡ったやつってどんなんだったのだろうか 3
ここで初期に大農場に年季奉公で米国に渡った期間小作農たちですが、
ジョン ガボットが1498年発見後、カナダや合衆国東部の調査が
始まり、その後に軍港や漁港も含めた港の建設が行われるなどして、
1540~60年代になるとポツポツと年季奉公者の小作農集団が
この北米大陸に渡りはじめてきたそうです。
しかしながら、広大でありすぎる故に人間には不便な生活空間。
3~5年で期間満了すれば英国に帰国してしまう小作農たち。
英国政府、米植民地側の役所の連中も特典として7~10年
奉公したら土地を無償進呈するなどの政策打ち出し定住者の
確保に動いたそうです。
しかしながら、土地だけ無償でもらっても自分で開拓して、家を
建て、道を作らねばならない。結局、なかなか定住者が増えなかった
そうです。
やっと、1606年になると英国本国で北米植民地をどうにかしよう
ということで、半官半民というかほぼ国営?王営?バージニア会社
を設立。首都となるジェームズタウンの入植を奨励し英国の半永久
固定植民地を宣言します。入植当初移民者達はきつい農場労働を回避
し、砂金や宝石が出るという真偽も危ない情報に躍らされ4~5年後には
移民の総数が40人を切ったそうです。
1610年バージニア植民地総督になったデラウェアー卿トマス ウェスト
は強制的にとうもろこしの栽培を移住者に課し、その後タバコの生産も
始めます。1620年前後には疫病や災害が起こり入植者も死者の
増大なので非常に苦しんだそうだが、タバコの飛躍的な増産に成功し
米国植民地農場の最初の金儲けモデルとなります。
後の、ビクトリア朝で「クリスマス カロル」のデイッケンズと人気を2分
するサッカレーの小説、「バージニア人」~ 経済的に困窮してきた
かつて、由緒のあった英国貴族が一旗当てに米国のバージニアに農場を
経営する長編小説があたったりもします。1780~1800年の
時代背景ですが、米国13州は元米国生まれの英国植民地駐在士官の
ワシントンを祭り上げ1776年独立宣言~1783年パリ講和条約での
独立承認を得たころ???何が独立戦争なのか?