実際、現在のアメリカ合衆国に渡ったやつってどんなんだったのだろうか 1
これは、現在までも続くアメリカ合衆国の建前で、本国英国を追われた
旧い堕落し、権威主義のカトリック、自分が離婚したいがために勝手に
王が私的利用した英国(イングランド)国教会に相対し、キリスト教の
初期の教えを愚直に守り、清貧ながらも教えを貫き徐々に勢力を増やしてきた
清教徒(ピョーリタン)を既得権益を享受している保守派勢力が
厳しい弾圧を加え、これに対して新天地での理想的なピョーリタンの
生活、布教活動を行う。このための米国への集団移住が初めて英国政府に
許可されたから、これが米国の歴史の始まりという考え方です。
で、実際はどうだったのか、1498年本人は航海中に非業の死を
とげるのですが、コロンブスのカリブ諸島を西洋人(北欧バイキングを
除く)が発見してから、このイタリアからの英国移民ジョン ガボット
が米国東部の現在のデラ ウェア州近辺を発見します。
その後、現在のカナダ領のニューファーンドランドやボストン周辺の
ニューイングランド地方が英国から大西洋を横断した時の良好な港の
建設が始まり、当時マンハッタン周辺にいた、オランダや北欧からの
移住者も英国が蹴散らして、ニューヨークでも港の建設が始まります。
この頃から米国北東部地域は英国から渡ってくる玄関門で実際には
東中部~東南部の広大かつ比較的温暖な気候での大農場~タバコ、
サトウキビ、綿花などで儲かる図式が出来上がってきました。
残念ながら、中南米や後の合衆国が中央部も西部地域もスペインや
メキシコにとって代わってぶんどろうとした、ぶんどった西漸運動
の時のようなゴールド ラッシュもほとんど見られず、米国の
初期英国領内では大型農場で儲け英国のみならず世界中に農産物
を売ることで富を蓄えていったわけです。