米国とそれにすりよる日本潰しは、1921年に決定化された 1?
このエポックメーキングはざっくり言うと3度ほど日露戦争から
ワシントン軍縮会議(1921~1922年)までにあるかと思われます。
その後このワシントン軍縮会議の補足、補填強化を受けて1930年の
ロンドン軍縮会議その後の満州事変、1932年の満州事件の調査報告を
発した、リットン報告書、1932年の日本の国際連盟脱退と言う流れ
同年には満州国も成立しています。
朝鮮側がロシアにおもねり、更に日清戦争でのシナ大陸の利権を白紙に
戻させたロシアとの緊張状態は日本にとってはピークを迎えてました
ロシアは仁川港にロシア軍の拠点を設置し更に釜山までの南下、
新潟の日本海を挟むウラジオスットクには、コザックや旧ポーランド
の兵士を送り込むなど露骨に日本にプレッシャーをかけてきます
ここで、日本は日露戦争決断するのですが、多くは米国、米国と英国に
またがる、ユダヤ系の資本に戦費調達を依頼せざるえませんでした。
ドイツ出身のユダヤ系米国人ジェイコブ シェフ(Sciff)
や全権大使なども務めたスコットランド出身のユダヤ系ハリマン。
勿論、ロックフェラー系などのアングロサクソン資本にも口ききや融資を
してもらっているので、全てユダヤ資本ではありませんが、彼らが
遅らせながらシナ大陸、特に北部、満州地域に積極的に投資を行ってきたと
言われます。
結局、この1905年日露戦争終結時からじわじわと、シナ大陸に大きな利権を
確保している、英仏、ロシアは数百年に渡り国境紛争だのなんだので、シナ
大陸の干渉をする。ここで日本に出し抜かれたら米国の利権確保が
更に厳しくなっていくのは明白でした