日本人は中国の多元化を知れ?今さら何を言っているのか 2

1961~2年頃毛沢東は事実失脚したのですが、経済やそもそも

食糧が困窮してにっちもさっちも行かに時に劉少奇や鄧小平などが、

資本主義を一部導入して経済の持ち直しに着手します。

これも旧ユーゴやポーランドなどのソ連にムカついている国の

やり方を参考にしたような形ですが

この殺人鬼毛沢東はここをチャンスと1966年に特にエリートクラス

の大学生や若手兵士、警察官などを洗脳(再オルグ)して、

共産主義否定主義者を粛清せよと大暴動を起こします。

この毛沢東はたいした玉で、どんだけソ連(実は一部日本や米国)

から資金や武器援助してもらったのを手のひら返しでスタリーン

死後、ソ連と対立します。これも現在も続いて、日本の援助など

全く無視してイチャモン、タカリを繰り返すシナ人気質です。

このやり方は、ソ連から東欧などの共産化時にエリート学生と不満分子

で武器を持つ軍の下級将校、若手軍人、警察を抱き込み理論と

武器で脅す古典的手法を再現します。

更にスターリンのナイスな粛清政策、共産主義理論に反すると思われる

奴は家族、親戚、友人などは告発させると言う相互監視、密告

システム。

又、余り知りすぎた密告者は用済みで処刑する。これも今でも

継続しています。

こんな粛清が毛沢東の死の1976年頃まで続きます。