英連邦の底力と各種ワールドカップなど 6
そして、ユニオンのワールドカップ。この英本国至上主義者達が
ラクビユニオンの重鎮に鎮座されており、プロ行為を行ったチーム、選手、
監督、コーチ、スタッフには永久資格停止を含む厳罰を処す。
欧州では5ケ国対抗(Five Nations)現在ではイタリアを加えた6ケ国対抗
が正式な国際大会でした。とは言えこの中4チームがアイルランドを加えた
英本国で超近場のフランスなので、移動の問題が無い。
これなら平日は仕事をしたり学校に通っていても土日で試合が消化できる。
1ケ月前後もかけた一極地で世界大会何かやったら仕事や勉強どうするんだと
言う建前です。やりたきゃ、リーグの興業者のところに行っちまえってなわけ
です。
何年か置きに、欧州では1ケ月程の年間の有休が取れるようになったので
英国、フランスの代表チーム、オセアニア ツアーとか南ア、ジンバブエ
ツアーなどを組んで国際親善試合を組んでいました。
困ったことにこのツアーで英国本国勢がなかなか勝てない
ここで、五輪やサッカー同様、国際大会を主導したがるフランス(英連邦に
比べると国数も地域も劣るフランス共同体しか持っていない嫉妬心なのか)
を豪、NZが抱き込んで、豪、NZが主催しIRBの認可を受けた選抜招待大会
のW杯をやっと開催します。これは野球のWBCと同様の構図です。
面白いことに、国際評議会IRBの本部はアイルランドのダブリンにあります
この理事国でW杯に反対したのはアイルランド、スコットランドのみ。実は
イングランドもウエールズも興業化したくてしようがなかったわけでした。
何と1987年第一回大会に数合わせのためかアジア代表として、本選16
チームのチームとして選ばれます。
ここからが実は大恥と苦難の嵐が日本ラグビー界に降りかかってしまいます。
この当時、大学ラグビーは大全盛で、社会人も各強豪大学や高校のOBを獲得し
新日鉄釜石や神戸製鋼など多きな人気を誇っていましたが余り国際試合は(実は
組んでもらえなかっただけなんですが)少なく世界での位置が分からなかった。
所がW杯で連敗、大敗が世間にさらされると余りの力の差が露呈し一気に
国内のラグビー ブームが去ってしまいます。本当選手達、今回は良くやった!