英連邦の底力と各種ワールドカップなど 3
1890年代になると、年に数度の大学や高校の対抗戦だけではなく
イングランド各地にクラブチームが広がっていきます。
しかしながら、ラグビーはスクラム、タックル、モールなど大きな
けがを負う確立が多いものです。
当時は完全アマチュア主義で土曜に試合を無給でし、平日は仕事
をしている社会人クラブ チームが特にイングランド北部には
多かったわけです。ここが味噌で、当時州6日労働、日曜休みですが
怪我が多いラグビーは日曜休養に当てないととても月曜から特に
肉体系の労働は厳しいことから、土曜日は職場には欠勤~無給に
なったわけです。
イングランド ラグビー協会内の地方教愛としてNRFU~ノーザン
ラグビ フットボール ユニオンに選手達が長期の怪我で
仕事を休まなければいけない時の休業書省してくれと強く請願します
はっきり言うとプロ化の要求です。
NRFUが中央の協会に請願に行くとアマチュア精神を盾に
けんもほろろに追いかされてしまいます。
各チームの会費とボランテイアで運営しているNRFUも南部の
上流階級や経営者、大農場主のガキは仕事案ぞ遊びでやっても
一生食える奴らが何ヌ関してんだと憤激しこのラグビー ユニオンン
(Rugby Union)を脱退します。
とは言え始めから完全プロ化興業は難しかったのですが、ユニオンと
同じルールでは怪我が多すぎ、プロ興業としての多くの試合が組めない
ので、人数を15人から13人に減らす。ラック、モール、ラインアウト
は廃止し、地面にボールをタッチして再開など。スクラムは残っているもの
少人数で簡素化。ラインアウトはスクラムで再開。
タックルをボールを持っている側が攻撃中に6回成功されると相手ボール
になるなど怪我を最小限に残す。アメリカンフトボールはこのルール
を米植民地で改良されたとも言われます。
これがラグビーリーグです。