欧州の状況と明治維新直前からの日本5

しかしながら、分割しただけで、民族紛争が沈静化するはずもありません。

ハンガリーの中に現在のチェコ、スロバキア、旧ユーゴ等をひとまとめに

放り込んで、オーストリアとその他とし、皇帝と幹部連中の多くは

ハンガリー内でもドイツ人でした。

ここが奇奇怪怪なのですが、ハンガリーのマジャール(ハンガリー人)人

国民派はクロアチア(裏で自治権や独立の密約をちらつかせ)人や

ボヘミアン(チェコ)人を取り込んで多数派を形成ドイツ人勢力を

追い込んで行きます。

すると、何とドイツ人側はロシアとドイツに何度も分割されて流れ込んできた

ポーランド人を取り込み反攻勢をかけます。

他の少数民族派様子見と言うのでしょうが、数的にたいしたことが

無いと思われていたのか、大がかりな取り込み対象には見られていなかった

ようです

しかしながら、ここからあの欧州最大の災難第一次世界大戦の遠因が

始まるとは誰も予想してはいなかったでしょう。

まだまだ、この時点では各民族の独立意識というより、自治権や権利の

拡大が主眼であったようです。

落ち目とはいえ世界の5大国に数えられあのハプスブルグ家の皇帝を

戴いている強国の一員なのですから

そう言えば、ナポレン3世に言いくるめられてメキシコ皇帝にかつぎあげあれたのも

皇帝の弟マクシミリアンで速攻でメキシコ反乱軍に取り押さえられて銃殺系

になる末路を送ってます