欧州の状況と明治維新直前からの日本4

ま~常に欧州の戦闘はバルカン半島を持ってバルカン半島から

その周辺地域から始まるのが常です。

この1800年中盤のギリシャ独立戦争(英国が援助)、ロシアと

トルコの露土戦争もバルカンや中東欧のスラブ系民族を、ギリシャ

正教徒を悪のイスラム教徒から奪還独立を応援すると言う「建前」で

行っています(実は地中海の不凍港奪取と中東欧の衛星国化が

狙いでした)

強国であったオスマントルコはギリシャ、ハンガリーの一部、旧ユーゴ

の一部、ブルガリア、ルーマニアの一部を支配しており

常に民族紛争が起こる下地が整っていました。

この国力が落ちていくオーストリア帝国は、ハンガリー、ボヘミア

(チェコの一部)、スロベキア、トランシルバニア、旧ユーゴのクロアチア

スロベニア、ボスニア ヘルツゴミナなどの一部も版図にしていました。

この少数民族の独立機運にロシアだトルコだ英国などが微妙に

裏で糸を引いたりします。

ここで、1867年オーストリアーハンガリー2重帝国を始めるわけです。

当時、オーストリア帝国は約80%がドイツ系、17%程がハンガリー系、

3%がその他中東欧諸民族でした。

当然、王家、貴族、特権階級はドイツ系で、この権利をハンガリー系に

は渡したくない。

ここで、苦肉の策として、オーストリアとハンガリーに分割する。

皇帝は従来通りハプスブルグ家が、オーストリアとハンガリーの皇帝を

兼任する。移動、居住など自由は両国にまたがると言うことで妥協を

図ります