汪 兆銘(おう ちょうめい)と言う数奇な人物 7

南京を日本が陥落しても蒋介石一派は重慶に脱出、日本の租界地や

居留区にテロやゲリラ戦を国民党軍がしかけてきたり、

共産ゲリラも同様な破壊工作を働く。

これを掃討すべく日本軍は内陸内陸に鬼ごっこかはじまります。

天津、漢口での掃討作戦は成功するが、ゲリラ戦のヒット&アウエー

作戦ですぐ逃げるシナ側。

庶民の格好をして便衣兵となり日本軍を襲う何でもアリの

ルール無視の非道さ

アメリカ空軍部隊、フライングタイガーによる空爆、ソ連の志願

部隊の北部空爆、更に援蒋ルートから武器、物資の援助で

全くシナ側はこのゲリラ戦やめる気がありません。

この状況が結果10年以上続くことになります。

南寧と言う広州から2~300キロ程内陸のシナ ゲリラ部隊の

掃討は2ケ月を要し更に、中央部の漢詩でも舞台になる

洞庭湖のある長沙まで引きずられて行きます

とにかくあの広大なシナ大陸の内陸までひきずられていくと

もうゴールの内迷路の様でただただ消耗戦にはいります。

又、悪いことに変態パフォーマー近衛首相が学生への講演会で

シナの一ゲリラ政権の蒋介石相手にせずとぶちあげてししまいました。

ここで、日本側、シナ側の和平派は大変困ってしまいます。

そこで、蒋介石にじょめいされただけではなく狙撃も受けてベトナム

ハワイに逃げ延びた汪 兆銘に日本は白羽の矢をたてました。