汪 兆銘(おう ちょうめい)と言う数奇な人物 4

松岡はかなりのトリック プレーヤーだったらしく、もともと

ドイツ、ヒットラーなど信用していないが、米国が日本包囲網張るので

対抗処置でドイツとの同盟を結んでおけば良い。イタリアは

ドイツ大好きなようだから邪魔しないのなら入れておけ

当座、特に満州国境地帯に攻め込まれる脅威排除のために

日ソ中立条約を結んだが日本本土のみならず、満州、北シナ

一帯の赤の工作、謀略、テロに悩まされていた松岡は

こんなもの途中破棄してドイツが対ソ戦断交するのは明白なので

その機に日本も参戦挟撃してソ連をぶっ潰せと言い放っていたそうです。

一方、米国の傲慢、力ずくの外交に不満を持っていましたが、

英米不可分論に異を唱え、英米を可能な限り引き離す工作に

腐心していたと言われます。

この時期、英米に経済制裁を徐々に受けている中、陸軍が主張

する、南仏(ベトナム、ミュンマー、カンボジア、ラオス一帯)

蘭印(インドネシア)の石油を中心にした天然資源の確保

のための進駐に反対し、北進、満州の防衛強化及びソ連との

最悪開戦を出張する松岡は閣内、対陸軍とも総スカンをくらい、

最後は近衛が軍側につき、近衛内閣総辞職~再度近衛新内閣の

組閣で一気に外相から弾き飛ばされました

松岡は、インドシナ地区及び香港の軍港、商業港の攻略は

対日経済制裁への打開策と言うことは十分承知していたので

仏、蘭との戦争、最終的にはアジア植民地での英軍との

戦闘は避けられないとみていました。

しかしながら米国との全面衝突、いろいろな手練手管を使って

避けようとしていた中の事実上の解任劇です