汪 兆銘(おう ちょうめい)と言う数奇な人物 3
実際、三国同盟の締結は近衛が裏で推進していたと言う説が
有力です。側近の尾崎やその仲間のドイツ ナチ党員を装い
ドイツ誌の日本特派員で、オットー日本大使の側近である
ゾルゲ一味の甘言を真に受けたとも言われます。
松岡は対シナに関しては停戦論者で共に米国の脅威に
備えようと言う論者で、実際、蒋介石と汪 兆銘の和解、合体に
動いたのですが近衛一派の反対工作でとん挫しています
良く、松岡は米国で苦学生時代にいじめられ、人種差別された
個人的な恨みで、対米強硬論を張り、恨みへの仕返しだと言う人
がいますが、長い米国生活でエリート、セレブと言われる
米国人の思考、行動様式は当然理解していたでしょう。
ただ、彼は一方的に言われるがままでなく、どうやったら揺さぶれるか
それは自分の経験、時にはトリッキーな行動もやむえない
と言う信念があったようです。
とりあえず、様々な可能性と保険をかける、あんなスターリンが
約束など永遠に守るわけないことしりつつ、三国同盟締結後
シベリア鉄道の帰国最中に日ソ中立条約を電撃的に成立させる。
当時は総理は全体のまとめ役と、意見が割れたり、閣内で多数決に
なった場合の最終決定者と言うのが主な役割で、各省庁の権限は
独立しており、特に外交での天皇陛下の認可、裁可を得た全権で
外交に行く場合、総理の許可なくとも外相の裁量で
日ソ中立条約を決定できました。