本国と旧植民地、旧領土との関係、日本の断絶感 23

終戦時、朝鮮半島には在住日本人は約60~70万人、人口が

約2,500万人で、3%程です。約35年間の数字です。

台湾は約48万人しかし、第二次大戦中、南方の軍事港、空港の

一旦を担っており、戦闘がなかった朝鮮とは事情が明らかに違います。

当時の人口、約800万人。内日本人は6%。但し、軍関係者や

役人などで17万人いたと言われますので、実際は4%程です。

約50年間での数値です

一方、満州国は、総人口約4,000万人で210万人の日本籍で

約5%ですが、130万人が朝鮮出身者であるので80万人

総人口の2%程です。

それでも、10年弱で80万人。朝鮮人は130万人。現在

ベトナム戦争に協力したと言うことで優先的に居住権を米国で

得た韓国人が300万人とも言われますが、この130万人と言う

数値は非常に多いものです。

まさに、移住開拓、新天地開拓移民といえるでしょう。

因みに北海道開拓の延長線上に考えられていた南樺太の終戦時の人口が

約35年間で40万人です。

面積比を差し引いても、日本側の(朝鮮も含め)満州に新天地を作る意欲の高さが現れています。

余談ですが、この満州特に北朝鮮や現在の人民共和国の朝鮮人自治区と

言われる地帯の出身者が満州に渡った事例が多く、土地の漢人や満州人

に朝鮮人が日本の虎の威を借りて威張るなと反感を買い、襲撃や略奪を受けることに

なります。

結局、中国風の名前をつけていても微妙な名前の違いや風体で朝鮮人と

ばれてしまい彼らが日本名を名乗らせてくれと言う強い要望を朝鮮総督府にだしていたのは事実で、又脇の甘い日本字がこれを認めてしまいます後に総連や極左に、名前を奪われ無理やり日本人化ささられたなどの

総氏改名ねつ造与太話を作らせてしまうことになってしまいました。

犯罪や人口、国政管理には朝鮮名の登録、管理の方がはるかに有効だったのにです。