本国と旧植民地、旧領土との関係、日本の断絶感 6
この、清教徒革命時の王室は先のジェームズ1世系譜のスコットランド系の
スチュワート(Stewart)王朝でしたが、彼ら関係者は命からがら
フランスに亡命します。
英仏は永遠のライバルだったように語られますが、魑魅魍魎(ちみもうりょう)
の欧州覇権争いと王室間の政略結婚史。
英仏、逆の場合の事情も同様ですが、なぜか新勢力に旧勢力が終われて
国を脱出するとフランスが受け入れて上げてしまっています。あわよくば
旧勢力利用して仏が英国を呑みこんでやろうと言う魂胆なのでしょうか?
ま~このスコットランド1400年代からイングランドと同君連合と
言いながら王の出し入れに参加しつつ裏でフランスの同盟の密約結んで
いたりと一筋縄では行きません。
このクロムウェル一派がキリスト プロテスタント原理主義者の面目躍如
国内のカトリック狩りを強硬に進めます。特に標的はアイルランド、
スコットランド北部、イングランド北部、西部。
確かに、後の米国移民にこの地域からの移住者が多かったことも頷けます。
又、クロムウェルに運が無かったのは、同時期にカトリックとプロテスタント
の史上最大の欧州内戦、30年戦争の真っただ中で、英国王室は30年
戦争と清教徒革命のダブル内戦を戦い財政的にも人的にも疲弊しきっていた
ことです。
ところが、1660年クロムウェルが死去するとチャールズ1世の長男
チャールズ2世が王政復古で英国連合王に即位します。
彼らはスコットランドのメージャー宗派カトリックにそれほど嫌悪感を
抱いてなかった。当時のフランスはカトリック王室である。何よりも
父を処刑したプロテスタントを恨んでいた。
大体、イングランド国教会なんぞ、時の馬鹿女好き王ヘンリーが離婚したくてローマ教会に破門される前に離婚OKの宗派を国教会だって言って勝手に立ち上げ、カトリックに対する対抗者(プロテスタント~Protestant)と
屁理屈ならべただけじゃね~か
俺には全く関係ない!!!