本国と旧植民地、旧領土との関係、日本の断絶感 4
結局、英国本国としては米国東中~南部の大農場で収穫できる
煙草、サトウキビ、綿花の利益は英国本国はもとより欧州大陸やに
輸出もできる。植民地の農場に税金をかけて徴収もできる
王族や大貴族も儲かる。典型的な搾取型の植民地利益を享受できた
わけです。
このように、大型農場が拡大していくに従って、季節労働者だけでは
労働力不足に陥り、定住移民を英国本国から欧州全土から募るわけですが
これでも労働力不足は解消せず、アフリカ大陸の黒人奴隷の導入に
踏み切ります。形としては植民地側の農場責任者が奴隷を購入し
植民地の英国本国の代理である監督者が許可ももしくは黙認すると言う
形式になります。
この黒人奴隷は、別段米国植民地に限ったことだけではなく、過酷な
労働と伝染病で原住民のインディオに替わる中南米の労働力補完策
としてポルトガルやスペインが唾をつけており、その後英仏が相乗り
したわけです。国力、軍事力で劣るオランダはカリブの小国以外の
領土拡張より、アフリカ大陸での奴隷調達、輸送、売買で利益を
上げるシステムで儲けます。行きは奴隷を運搬し、帰りは植民地の商品を積み欧州を中心に売りさばいて利益を上げて行きます。
従いまして、所謂ニューヨーク シティー(マンハッタン島周辺)以外のニューヨーク、ニュージャージー州も当時東中部に分類されていて
小麦をちゅうしんいした農産物が主産業でした。
一方、ボストンを中心とした北部、東北部は漁業くらいしか名産物もありませんでした。
但し、プロテンスタントの亜流である清教徒の街では、日本の寺小屋、
最近のイスラム教の神学校(テロ養成までやってる教団もあるのが問題
ですが)と同じく教会付属の神学校が拡大し大学の設立に繋がっていきます
まだまだ1600年代では花開きませんが、特に実学、機械化の研究
が行われ1800年代中盤に欧州の産業革命(特に英国の)の波に
のり一気に工業化の中核地域になっていきます。