英国の3C政策プロローグと香港の光と影 7
再度英国東洋艦隊は海路北上し、揚子江を進撃上海に迫り、北京への
水路を完全に遮断します。
(The Most Favourite Nation)1842年英国と南京条約を締結。
ここで現在の香港の香港島の割譲(後に九龍半島の割譲)、
広東港の再開、上海の開港、清の対英関税自治権の廃止(清は英国
製品から1銭も輸入税取れません)、英国居住及び占領地域の治外法権
(清の法も条例も裁判も全く無視される)、英国に対する最恵国待遇
(The Most Favourite Nation)~商売など自由に始められたり、
各種特権、これが後にHSBC(香港上海銀行)グループが設立
され香港が金融のメッカに駆け上がる下地になります。
所謂、日本も開国時に結ばされた不平等条約の走りなのですが、
清は後に、ハイエナ フランスにもロシアにも同様な不平等条約を
突き付けられてきます。
余談ですがこの50年後、日清、日露戦争後の清やロシアでのシナや
満州の権益を引き続いだ形になります。
正義の味方のアメリカ様に、いや日本に出し抜かれたアメリカ様の
因縁付けされて行く条約の始まりです。