イスラエルと言う場所、エルサレム、メッカ宗教の誉れ 3

とは言えそこそこ、このイスラエル地域では布教活動が実ったのでしょう。

ローマに目をつけられる危険分子として、更にローマ側にも入信者を増やすことに

ある程度の成功を収めたのでしょう。

ま~イェスの処刑後の復活とかの壮大なファンタシーは置いておいて、

最後の晩餐とかユダの裏切りとか、余りにも生臭い内部の幹部対立を

2000年以上も語り継いでんじゃね~よと突っ込みたくなります。

結果、キリスト教はイスラエル地域内では取り締まり強化されるので

残党の幹部連中は外国(域外、海外地域に)で積極布教活動を始めます。

この辺りは仏教と似ています。

国内で大手に阻まれた市場シェアーを海外に活路を見出すと言うことでしょう。

その後この洗脳活動が海外で成功し、ローマ皇帝の大人事情と合致~

拡大したローマ帝国と従属地域をまとめるためにキリスト教を利用することで

思惑が合致。今日のキリスト教の鉄板な地位を欧州内で確保します。

余談ですが、アラビア半島に狭い海峡を挟むエジプトの下のエチオピアで

キリスト教が根ずいたのもこの海外布教プロジェクトのたまものでしょう。

ここから約300~400年後、又新興宗教教祖が出た!

アラー(アブラハム~エイブラハム)を神としその全権代理人と神の

教示を受けたモハメッドと言う男がイスラエルの地に降臨します

(街宣活動を始めます)

彼の教義はある面非常にストイックなところもありますが、一夫多妻制や

女性をベールで顔を隠しむやみに男を近ずかせないなど上流階級も

不満を持たないような制度。酒やなぜか豚肉を禁止しますが、羊はOK

中東的な煙草?はOKなど硬軟おりまぜます。

一番はこの環境に厳しい中東の遊牧民に理解、彼らの風習に合わせた教義に

したわけで、遊牧民の性質から中東のもみならず、ほぼアフリカの半分

トルコ、イラン、イラクから中央アジア、インド亜大陸、果てはインドネシア、

マレーシア、フィリピンの一部まで遊牧民とそれに従った国々拡大して

行きました。