中国が輸出依存しかないのとグローバルの儲け方2
いずれにしても、安価な製品を下請け生産し海外に輸出するが基本方策です。
従って、屈辱的なドルに中国元を連動させるペック方式に入ることで
外貨を安定的に獲得する方策を取ります。当然元安を維持することが国策と
なります。
ま~共産党、人民解放軍、公安(警察)の賄賂、キックバックの経費増を盛り込んでも
安い価格で製品ができれば、外国企業はやむお得ずという形で
中国生産にどんどん依存してきました。
ただ、毛沢東の人民共和国設立、大躍進政策で英国のGDPを10年で
越すとか言う戯言が全くでたらめで、更に文化大革命で大後退して
しまったわけです。
その後鄧小平が周恩来の画策で1970年代に復権します。彼が改革開放路線を
唱え、1980年代前半から拝金路線を実施していくのですが、
実際1980年代後半でも、外国人が入れる地域は限定され、通貨も
中国元で無く、外貨兌換券と言うもの両替され、通常の中国人の倍以上の外人
料金が定められていたり、この兌換券も高級ホテル、レストラン、デパート
でしか通用しない。逆に両替時よりかなりレートの低い闇外貨の両替屋
のチンピラが片言の英語や日本語でゴマ蠅のようについてくる。
共産主義のくせにホテル、レストラン、タクシーは露骨にチップを要求する。
一方、少ないとはバラックのような食堂で、死にそうにまずそうな野菜と油のぶっかけ丼のような食事が無償で食べられる配給券もありました。(余りまずいので
闇市では逆に値下げしても売れない)~まだ共産主義、最低限死なない限界の
食事は国が出すということです。
空港の免税店は店員は公務員でずっと無駄なおしゃべりをして、ガラスや机を
叩かなければ、こちらを見ようともしない。当然釣りは投げつけるか、叩きつける
飛行機はCAがピーナツみたいなおつまみを放り投げる、飲み物は自分から取りに
行かねばガン無視。
当然、乗り降り時の会釈はなし、そんなものでした。
と言うことで、まがりなりにも経済的には自由主義型に近ずいたのは1992~5年
位からで20年の歴史も怪しいところです。