ハワイと日本は対等な条約を結んで、合法的に移民を送り出す。
ところが、1890年以降、アメリカの介入で、東洋系の移民が制約を
受けてきます。
特に農業などの人手不足で、単純労働者として渡った移民は米併合後
国籍が宙ぶらりんになります。
これは、米本土の大陸鉄道建設に清(シナ)の低賃金移民を大量に認めたため
現地の白人の給与が下がったり、シナ人の犯罪行為が多発したため、
東アジアはどうせ同じだろうということで、ハワイへの日本人、清(シナ)人
への規制が非常に強まっていたタイミングでした。
1900年に正式に米、ハワイ併合法が施行
清人(シナ)移民は移動の制限を受けていましたが、逆に日本人移民は
単純労働者で入ったものは労働契約が白紙になり、ハワイでの米国市民権は
ハワイで生まれ育ったもの以外は認められていないとの併合法なので、
大挙として米、カナダ、メキシコなどの太平洋西海岸へ移住したと
言われます。
この数は3~4万人ほどだそうです。
一方、ハワイに残った日系人は非常に苦労しながらも徐々に現地での
信頼を得て行ったそうです。
1907年、ハワイ経由の日系移民の受け入れが米国から禁止されます。
1905年の日露戦争で日本の勝利。満州での日米鉄道運営の共同運営案の
決裂。
フランクリンの伯父セオドアは別に嫌日と言うのではないようでしたが、何度か
撤回されるも、日本人移民への学童阻害法(アメリカの公立学校に入れない)が
彼の政権時にあります。
彼の後も日系移民隔離法(居住地域を限定)やその後対日移民禁止などへ
繋がってきます