更にここから複雑になっていきます。王国政府はお決まりのロンドン亡命

(一体、ロンドンにどんだけ亡命政府があるのやら、仏、蘭、ポーランド、ユーゴ。。。)

一方、このどさくさに紛れて、クロアチア人がクロアチア独立国を宣言。

報復と称して、領内のセルビア人を血祭りにします。結局、国軍に変わって抵抗

したのはティトーらの共産。社会主義ゲリラ軍でした。彼らは山林などで

パルチザンと呼ばれるゲリラ軍として傀儡政府軍とナチの援軍に抵抗します。

このグチャ、グチャ感が同時期のシナ大陸と重なります。

結果、ナチス ドイツの敗北でソ連の支援を受けながらも戦い抜いた共産ゲリラ

軍が平和裏に政権に就くと言うことになります。

ティトーは共産主義のイデオロギーとソ連の援助を利用して、この6の国と1の自治国

をまとめる手段にしていましたが、彼は愛国者であり、現実主義者でした。

ソ連の傀儡政権になる道を完全に拒否します。ソ連が進攻してきたら、第2次大戦

と同じゲリラ戦をやるのみだと公言します。国内では各国の自治をできる限り認め

民族の平等を説きます。社会主義、共産主義としてはかなり緩い自主管理社会主義、

国家が全て決めるのではなく、会社を運営するのが労働者階級に変わったと言う考え方

です。だからこの会社に対して労働組合ができると言う仕組みになりました。

直接選挙はできなかったものの、間接選挙の代理人投票は行われています。

1948年、コミンテルはユーゴを除名しソ連は絶縁宣言をします。

しかし、このカリスマが1980年死去、ここから債務の問題でアメリカの大幅援助

を受けて行きます。ベルリンの壁崩壊で共産主義国家の崩壊が続と、親独で工業力の

豊かなスロベニアの独立、クロアチア独立宣言での内戦が1991年勃発、コソボ

紛争も勃発、セルビア人対その他だけではくくれないような民族争いに発展して

行きます。ユーゴ連邦=セルビア人は正解なのですが、各国内でも民族多数派、少数派

宗教対立が噴きだします。結果、国は完全に分解し、コソボに関しては停戦中と言う

状況です。

小国連邦が身を守るために大国に抵抗した。しかしながら民族性、宗教観の違いを

結びつけていた新社会・共産主義のカリスマで抵抗の英雄がいたからこそだった。

連邦はしたほうが良かったのか、悪かったのか?結局元に戻ったわけで、しかしながら

今度はEUと言う連合体に属さねば先に進めないジレンマ