奇跡的にも疫病は伝染せず、略奪などでの処刑者も数十人で済み街の治安は
回復していきます。
啓蒙主義者で産業革命に着目していた首相は、半ば強引に1年以内での街の
完全再興。道路を広くし、安全を確保できるようにし、宮殿や、建築物、住宅の再興を
命令し、リスボン市内全土が巨大な建築現場になったそうです。
この地震をきっかけに地震学と言う学問が整備されます。地震が少ない欧州ですが、
これ以前も何度か強い地震に見舞われていたポルトガルから地震学が広まって
いったのです。
一方、この首相は小さな貴族階級の出身で、彼の専制政治に大貴族、教会幹部が
反発を起こします。彼は先手を取って国王の信任をを受け反抗する大貴族の追放。
教会関係では日本にも布教に来た最大の影響力を持つイエズス会を壊滅させます。
当時、イエズス会は拝金主義で、ポルトガルの海外植民地にも広大な土地を私有し
貿易利権も持っていたと言われます。この権利を全て剥奪されます。
イエズス会が復権を許されるのは1814年まで待たねばなりませんでした。
国内、経済は産業革命を推進しようと、英国と友好関係を結ぶのですが、ラテン人
の性質かなかなか上手く行きません。
逆に英国の協力の上にブラジル、中米、インド、マカオ、アフリカの植民地
の収奪強化を進めざる得なくなります。
この頃、アメリカ北部13州が独立宣言を出したりしますので、ポルトガルとして
は特に大領土で農産物、コーヒー、煙草の大産地であるブラジルの独立だけは阻止
せねばなりませんでした。
しかしながら、1800年代に入るとナポレオン戦争後が起こり、親仏派勢力に
当時の国王ジョアン6世(João VI)一族はブラジルに亡命します。1808年
王はブラジル、リオデジャネイロへの遷都宣言をして、ポルトガル、ブラジル王国
を宣言します。
何とか1889年まで、この王国は続くのですが、ブラジルでクーデターが起こり
ブラジルが独立します。
一方、本国では、フランス革命に影響を受けた民主、社会主義派と保守派の内戦が
起こり、完全に衰退の道を歩んで行きます。