2001年9月のアメリカ 同時多発テロ以来、ブッシュ大統領はイスラム
原理主義者やイラクのサダム フセイン政権の打倒を急ピッチで画策していました。
ここで、ブッシュはお友達と言うか年下子分とも言えるトニーを強引に参戦に
引きずりこみます。好景気は米国の金融資本の影響が強い。アフガンや中東は
アメリカに比べ圧倒的に欧州に地理的の強さからテロや戦争の脅威がさしせまっている
事からアメリカに強調し、英国軍の介入を決断します。
手始めにイスラム原理主義タリバンを壊滅すべく同年アフガン戦争に参戦
停戦後も約3年間、内戦やテロ行為が頻発し軍を引きあげられません
そして、2003年からのイラク戦争。フセイン一族を逮捕したものの
国内は反政府派や過激集団の内戦が続き、2011年まで撤兵できません。
又、アルカイーダのビンラデインの拘束のため、米軍と強調し中東、アフリカ中を
追いかけまくるなど、英国内での戦費の増大や戦争そのものへの意義への疑問
イラクでは遂に、核や大量破壊兵器が見つけ出せなかった事に対して英国内
のブレアー批判が高まります。