このアメリカの激怒は、アジアの安定とアメリカの自国領土のフィリピン

の安全を重大に脅かすと言う理由でした。確かに。


当初、軍部特に陸軍は日支事変で、泥沼状態。満州から、中国各地

に引きずり出されて手が足らず、南仏印に消極的だったと言われています。


ところが、翌1941年6月にオランダ本国がナチス ドイツに占領

されると、オランダ本国政府はロンドンに亡命します。

日本側はここぞとばかり、蘭領インドネシアに資源輸出の増量を要求しますが

断固拒否されます。


さすがに、困った軍部も松岡外相に認めさせ、南仏印進行開始するのですが、

激怒したアメリカを先頭に英米蘭(蘭はほとんど英になっていた)は速攻で

対日禁輸、自国内日本資産凍結を断行します。ほぼどうでもよいのですが

当時の記事は頃がよいので、無理やりCHINAも入れて

ABCD包囲網などと言うコピーを作りました。


後に、この判断が日本の外務省や軍の認識が甘く、アメリカを激怒

させて日米開戦の決定的な引き金になったことになtyていますが、

約半年間、開戦まで日本側はギリギリまで対米交渉を行っており

ますが、ことごとくはねつけら。れます


一方、この南仏印進行はもう一つの側面があり、所謂、米英が武器、物資

援助をしている蒋介石軍への援蒋ルートを可能な限り封じ込める意味も

ありました。

とにかく、日本は10年近くも終わりのない紛争、戦闘が、広大なシナ中国

大陸がエンドレス状態で続いており、やつけても、追い払っても

大量の武器や物資が、蒋介石に送られ、退役軍人のふりをした

アメリカ人義勇協力隊「フライング タイガー」なんぞを結成して日本軍

に空襲かけるやらでした。


もし、アメリカのルーズベルトと側近のソ連のスパイが何としてでも

シナ、中国大陸で日本が永続に的に戦闘で消耗させ日本のソ連進行を

阻止するのが第一義であったら、日本の南仏印進行は絶対許されない。


もう~結論はかなり出た感じで、戦争回避は米(裏でソ)の要求ほぼ認めて

しまう以外なかたのではないでしょうか。。。