李氏朝鮮になってから、500年近くも、上層部の人間だけが

おいしい生活ができれば良いと言う国是?になっていたので、

国外との紛争も清軍に派兵を頼む。王族警護の軍隊が

ある程度の規模だった軍事力。基本的に一番頼りやすい

国にすり寄るのが手っとり早いと言う考えです。


それで今回の、このオランダのハーグ会議、清は既にほぼ

死に体、ロシアも日本に敗戦。ここで会議中に列強各国に日本の

支持を承認されたら大変だと言う事で、この会議に乱入する

計画を朝鮮抗日派は画策します。


列強側の認識は、朝鮮を独立国と見ておらず、清の属領で

あったわけで、勿論この会議に参加する招待状など出すわけ

もありません。


そこで、抗日グループは密使と言う形で、場外でのロビー

活動を行うことにしました。


李儁、李相卨、李瑋鍾の3人、ロシアのウラジオスットックから

大陸経由で1907年6月25日オランダに着きます。

この一週間前に現地の協力者の力を借り、反日パンフレットを

ドイツのベルリンで印刷します。

これも今の韓国がネットや各種会議、首脳会談で各国で

日本非難、批判するやり口と一緒ですね。


このパンフレットを抗告詞と称して各国首席代表に配布する

所までは何とか成功しました。

しかし。。。。