インドでは古代サンスクリット文字、所謂日本で墓地に行くと

長い木の棒状でお経の書いてある卒塔婆(そとば)と言うもの

のお経の文字がサンスクリット文字(梵語)です。


インドでは当時からヒンドゥー教が主流であり、釈迦が

そこから更にカースト制にない自由な人間になるのには

どうしたものか、それは否定はしないが、物欲を捨て、享楽を

捨て解脱することではないかと説いた仏教が出ます。

この経典がサンスクリット語で書かれていたわけですが、

三蔵法師などがインドで仏教の経典を入手した時、一緒に

このインド占星術の資料も持ち帰り、中国占星術、躍宿道と言うものに

なりました。現在の人民共和国では仏教も弾圧されており

どれくらいこの占星術が用いられているのかは不明です


一方、日本、西暦800年後半はまだ、遣隋使、遣唐使の流れを

汲み日本の僧侶が中国大陸に留学を許されていた時期でした。


この占星術の経典を弘法大師を始めとし、密教として日本に

持ち帰ったそうです。

この占が京都近辺の貴族連中に受け、出生時期で占える

占が評判となり、この占星術は政治の方針を決めたり

する際にも使われたそうです。


しかし、平家など武士が台頭しだすと危険な邪教占と

され、ついには又もとの密教に戻ってしまったそうです。


この流れから元々僧侶がやっていたものを禁止して、時の朝廷

が管理することにした占師~陰陽師などと言うのが裏の占師として

引き継がれてきたとも言われています。、