アフリカ大陸の南端から2,800キロ離れた絶海の島です。

いつもの法則通り、ポルトガル人が1502年に発見。

1540年代位からぼちぼち人を送り出しとりあえず、アフリカ

や南米向けの船の寄港地にしておく。


1600年代になるとオランダがちょっかいを出す。

余り、辺鄙なのでオランダもほぼ放置状態でした。

1658年、南アフリカ一帯を占領した英国がここも

占領してしまいます。

とりあえず要塞を作ったり、黒人奴隷をつれてきてコーヒー

栽培させたり、オランダ系と英国系の南アでの縄張り争いの

ボーア戦争のオランダ系捕虜をここに島流しにしたりして

いました。


又、余り使われていなかったよですが、アジア、オセアニア

中南米向けの寄港地にもつかっていました。。。が。。。

スエズ運河の拡張、修復で寄港船もめっきり減って現在に

いたります。


ただ、この島が有名なのは、一回追放されたナポレオンが

イタリア コルシカ島に近いエルバ島(ナポレオンは当時仏領

のこの地域出身)に追放されていたのですが、再度パリに

入城し、軍を掌握します。しかし他の欧州連合軍に敗れ

~所謂100日天下です。~さすがに欧州近辺だと危険すぎる

と思われ、1815年にこの島まで流されました。

彼は1821年に亡くなったそうです。

英国側はそれでもナポレオン一族、側近の監視

用に100人余りの英軍関係者が警備にあたったそうです。


皮肉なことに近隣のアスセンション(Ascension)島が第2次大戦

から軍事補給地で発展し、フォークランド紛争時でも

(意外と南米に近い)補給基地で利用されそこそこ発展して

しまいます。


ヘレナ島も、ナポレオンがらみで観光誘致を試みますが

特にアピールするものもない。


残念ながら英国領でも見捨てられた地域の認識とされる

度合いが高い地域となっています。