このイザベラ バード女史が凄いのは、何と1878年、北海道

それも結構奥地まで入ってアイヌの人たちと交流していることです。

一体どこまで行くのか。。。それとも千島、樺太から南下してくる

ロシアの状況も調べようとしていたのか??妄想は膨らみます。


アイヌ民族~現在は和人との結婚が進み、100%純粋なアイヌ人

と言う人はほぼいないと言われます。


人種的な傾向でも特異な人種と言われ、古時代のコーカソイド

(白人系)から分かれたのではないかと言う説もありましたが、

最近のDNA検査では、非常に現在の日本人に近いそうです。


実際、アイヌ族は東北、北海道、千島、樺太及び大陸側の現在の

ロシアのカムチャッカ半島に広範囲に居た狩猟民族の総称だそうで、


もし、蝦夷、(エゾ、エミシ)と言われる人がアイヌの一派なら平安時代

頃から東北では接触、交流があり、1750年頃から松前藩が函館に

拠点を置き、毛皮や特産品の取引がアイヌと行われていましたので

和人と結婚したものも多いでしょう。


一方、北樺太はウィルタと言うツングース系(沿海州から北部朝鮮

周辺の民族と同系統)の先住民がいました。1800年代になると

コサック(トルコ系とも言われる)人が樺太を攻め入り、

ロシアからも少数ながら白人の船員などが寄港したりと

この辺の血が混ざった子供が生まれた可能性も否定できません。


アイヌ語は口承語で字を持たないと言い、歴史を知るのが非常に

困難を極めているそうです。

アイヌ語自体は、日本語と同じ語順なので、アジアでも特異な

部類にはいると言われます。ただ、決定的な日本語の文法との違いは

こうちゃく語ではない、何かと言うと、日本語は、「知る」~知ってる、

知った、知らない~など最後の語尾を変えることで、いりいろな表現が

可能になるところです。過去形も否定形も自由自在になるわけです。


いろいろ想像するしかないようです。それでイザベラ ここまで来るかよ

明治初期に