この時代、1800年末になると植民地の対処方法は
酸いも甘いも知りつくす英国は間接統治方式でインドを
統治ことにしました。
英国直轄地はインフラ建設などした都市にしておき、数十の
各藩主に自治をさせることにしました。
直接支配にしないで、現地人に支配させることで英国人に
恨みや、報復がこない。
各藩ごとに牽制させておけば全国規模の独立運動もできないだろう。
結局、インド内でも数多くの人種、言語、宗教が混在しており、
結果的に英語が共通語になりました。この辺りの事情は
日本統治の台湾やアメリカ統治のフィリピンに似ています。
又、上流階級には、優遇措置を与え、英国留学の奨励、インド内での
大学や教育機関の設立なども行い
インド国民議会と言う自治議会を作りました。
既に1700年代から始まっていましたが、食えない下層層は労働力
不足の大英帝国植民地、南アを始めとしたアフリカ地域、
シンガポール、マレーシア。
現地人殺戮して黒人奴隷が労働力でしたが、奴隷も廃止されたので
その補充と現地住民の監視役の下級役人として、中米諸島、
オセアニア諸島(フィジーやパプア ニューギニア他の諸島)
に大量に送りつけました。(でも彼らの生活としては返って
良かったかもしれない)
と言う訳で、第2次大戦中のチャンドーラ ボーズやガンジーなどの
独立運動を経てインドが独立と言うか英国が手を引いたと言うか
1947年までかかりました。