イングランドとスコットランドの関係が好転するする転機は
1503年、スコットランド王ジェームズ4世がイングランド王
ヘンリー7世の娘マーガレットとの結婚であった。
時は欧州中を巡る宗教改革時代で新興のプロテスタント
が勢力を増大し、イングランドも飲み込まれ(と言うか
ヘンリーが離婚したいために、こいつらに都合の良いところ
だけ乗っかりました)、スコットランドにも浸食して行きました。
同盟国のフランスもこの波を受けカトリックのフランス
王家も非常に困難状況になってきました。
この宗教革命、宗教をたてにした中流民の反乱(と言っても
神父や知識人などの上のクラスで庶民では無い)
の危険性を含んでいました。
ここで、スコットランドに朗報が入ります。
イングランドのエリザベス1世に子供がいないため、
彼女の死で、イングランド側が王位継承権者である
スコットランドのジェームズ世にイングランド王
を継承してほしいとの要請がありました。
これを受け2国、1君主体制が1603年に発足したわけです。
ところがここに落とし穴が、浮かれているスコットランド側
にありました。