日露戦争、第一次大戦で日本はアジア地域
満州や沿海州の権益を獲得し、五大国(日、英、仏、米、伊)
として認められました
この時期、ドイツでは敗戦後の革命でワーマール憲法を
連合国にのまされる、ロシアでは共産革命での内乱。
中国は辛亥革命で清の事実上の滅亡から、国民党
諸軍閥の乱立。その後ソ連に焚きつけられ、援助を受ける
共産党の出現。
一方、米国は疲弊した英国にかわり第一次大戦で
軍需輸出、小麦やとうもろこしなど(英国ではMaizeと
言いますが、これはインカやアウテカの現地語を
英語にあてたなど諸説あります。Cornは元々穀物
全般を指していたそうです)の大量の食糧輸出で
大儲けし、戦費の援助や貸し付けで大儲けします。
この金を背景に遅らせながらも、植民地争奪戦に
参加していきます。
ただ、英仏の利権がほぼ固まっていたので、アメリカ
が目をつけたのは混乱している中国大陸でした。
ここに投資を増やし、上海や南京、天津など国際借地
エリアに拠点を置きました。
ソ連(ロシア)が共産党分子を拡大するのに対抗し
アメリカは国民党を援助しました。蒋介石は日本に
留学して世話になっていたのに、寝返りました。
協力ではないものの米ソは日本を叩くと言う共通の
目的ができました。
この語ワシントン軍縮会議で日本の軍艦数の規制
を決め、4ケ国協約(日、英、米、仏)締結により、
1923年日英同盟失効。
加藤友三郎首相、すぐに臨時首相になった
内田康哉外相が、マスコミの対英強硬論にのせられた説も
強いですが、特に何もしなかったという感じで
更新をしなかったと見るほうが当たっていそうです
こrで、英国との軍事同盟が途切れてしいました。