アメリカ合衆国、数奇な運命の国です。1492年コロンブスに
探検され、欧州に報告された事で、スペインが乗り出したのですが
東部地域は余り興味無くインカなど中南米の黄金、銀、煙草、綿などの
搾取に専心しました。
北欧はバイキング時代から、大西洋の向こうに土地があることは
報告されていたので、1600年代に入ると、ニュージャージーの近隣
デルウェアに当時拡大を続けていた大スゥエーデン王国は(フィンランド
の一部を併合、デンマーク~ノルウェー連合王国とカルマ同盟を結び
北欧の安定をはかった)ここに拠点を作り、フィンランドも追随した。
スペインは中米から、フロリダ近辺に新スペイン(ヌエボ エスパーニャ)
を作り、テキサスから西海岸サンフランシスコ周辺まで占領して行く
オランダは遅ればせながら、ニューヨークにニューアムステルダムを
建設。英仏も単発ながら、1400年代末から人を送っていたが
1600年代になるとオランダ、スゥエーデン、スペインの占有地を
攻め、英国は東海岸から南東部、フランスはカナダのモントリオール
から、ルイジアナなど中部を征服した。
1700年代に入ると英仏の対立が激化して、植民地の米大陸、その後の
インドや東南アジアの利権、植民地争いが泥沼化してるなか、英国は戦費
を当てるため、アメリカに重税を数々課した。これに反抗したテロ、ゲリア戦
から独立戦争に発展した。中部アメリカやカナダ周辺も浸食されてきた
フランスと南部を浸食されてきたスペインが独立軍側に資金、武器援助を
行い、英国に独立を認めさせた
このときの13州の代表が集まって、ゆるい各州をとりまとめる代表に
なったのがジュージ ワシントンでした。町内会や商店街の世話役、会長
の規模が大器用な感じとは言い過ぎでしょうか?
その後ナポレンオンが失脚したフランスの勢いが衰えると英国は
カナダの拠点から中部を占領しようとして、米国と紛争起こしたが
成功せしなかった。一方、米国も弱体化したスペインからフロリダ一体
を購入したり、メキシコ(スペイン領)からテキサス、カリフォルニア周辺を
強奪して領土を広げます。
1800年中盤、東部地域はやっと重工業が発展し金融も盛んになりました。
又、一転英国が奴隷廃止を言いだし始め、リンカーンをはじめとしたグループ
が労働力の取り込みをしたく奴隷解放言いだしました。自由貿易、拡大
路線で潤いたい北部はとにかく安価な労働力が必要でした
南部は農場、牧畜で成りたっており、安価な奴隷の解放を受けられるわけもなく
南北戦争に突入しました。ここで南部は11州がアメリカ連合国を(The Confederate
States of AMerica)を結成して5年間戦争になります。
北米が中南米と異なったのは、アステカ、インカなど中南米では国を形成して
おり、文化もあり、ここを征服したことで原住民を奴隷に似たような形でこき使い
搾取できました。その後余りの酷使で原住民が減りアフリカから奴隷を輸入しました。
一方、北米はインデイオ(インデイアン)が地域、地域に集落を作って生活している
パターンで国として形勢されておらず組織的な搾取や強制労働を課せず、
白人の入植者を奴隷的労働者にもするわけにいかないのでアフリカ奴隷の
輸入に頼りました。
1865年北軍が勝ち、奴隷解放宣言はでましたが、選挙権の付与など完全平等
になったのは公民権運動後の1960年代です(100年後です)
この後、西へ西へと浸食し、インデイアン(アッパチ族)を蹴散らし、投獄し、
ロシアからアラスカを買い取り1890年代に現在の本国領土を確定した。
この辺りはハリソン、クリーヴランド、マッキンリーが大統領
その後プエルトリコだハワイだフィリピンだと海外を攻めます。
で、だれが真の大統領の始まりなのか