日本人はどこから来たか諸説あるのですが、遠くはベトナム、インドネシア
ニューギニア辺りから、中国の太平洋岸の広い江南地域から
海を経て徐々に移動してきた一派、上海、天津あたりから南朝鮮
経由で入ってきた一派、アイヌもしくは弥生人と言われる北方系
(イランからトルコの方から移動してきた説もあります)一派が混血
したのではないかとの説が有力です。ただしその中でもアイヌと琉球は
独自性を保っていました。卑弥呼時代から鎌倉時代まで言われた蝦夷族
はこの人たちを指したと言われ最盛期では茨城、福島あたりまでいたと
言われます。
日本語は、ウラル・アルタイ語族のアルタイ語族に無理やり入れられていましたが
あまりにも関連性が低いので現在は独立言語とみられています。
一つ疑問はなぜ、ツングース、モンゴル(ロシア沿海州、朝鮮北部、満州、
モンゴル辺り)の影響がほとんどないのか?ウラジオストックなど近いのに
日本海、特に秋田~新潟~京都の辺りは非常に海が荒れ、古代の船の
技術では非常に危険だったそうです。あの陸に近く見える佐渡島が流刑地
であったのもうなずけます。
唯一、似ているのが死語となった古代高句麗語ではないかと言われています
朝鮮の南端は、天津周辺から侵入した一派が建国しその後卑弥呼から
大化の改新のあたりまで日本人も移住し混合していた。
任那日本府が建設され(出先機関と完全に日本の自治国で
あったなどの諸説があります)、中国の書物、経典もここ経由で
入ってきました。
もうひとつ興味深いのが、オセアニア周辺のサイパンだ、ニューギニア
だのの原住民の言葉と類似性があるのではないかとの説です
続く