これはギリシャ語がゆえんで、離散(したものの集合体)と言う意味が
あり、ユダヤ人が故郷を追われ欧州各地へ分散していった意味に
良く使われます。
パレスチナ、イスラエル~ここはシリア、イランンにも近く、白人系
の容貌の人と浅黒い中近東系の容貌の人がどの程度混在していたのか
判然とせず、キリスト、中近東系(セム、ハム族)説も根強く
残っています。
キリスト教もイスラム教もユダヤ教の分派であることは
(と言うか、イスラム教が一番歴史的には新しいので)
明確で、神と神の代理人(創始者)及び使途、高弟
が指導すると言う構図を広めていきました。
一方、温暖なギリシャやローマは星や海に多神を仰ぎ、
北欧、英国、ドイツなどゲルマン人は自然の厳しさ
から自然、森、冷たい海、風など試練と恵みを与えて
くれる所から神を崇めました。
で、バビロニア王国が消滅し、ローマ帝国内に住んでいた
ユダヤ人は紀元前66年ころから、今のエジプトやローマ
辺りに大きなコミュニティーを作りました。
商売特に、金融などには長けた者が多く、高利貸しの代名詞に
なってしまいました。その後13~14世紀ごろ東ローマ帝国
の滅亡に伴い、その領地や影響を受けた地域、
ドイツ、オーストリア、ポーランド、ロシアなどに多く移住しました。
約、2000年ほど、欧州全土、北米などに分散したため
人種は完全に西洋人で、ユダヤ教の信者(代々に渡り)
でユダヤ名を保持していると言う事くらいしか判別が
つかなくなってしまいました