ニュージーランドは今のオーストラリアのタスマイニア島を発見した(欧州人から)

オランダ人タスマンが発見したのですが、100年以上特に征服もしませんでした。

これが1640年頃で所謂米国への新清徒(英国中北部の英国国教会に反発する

プロテスタントの一派)の集団移民が始まった時期です。(これが英国の移民

開始と教科書では書きますが、実際は、1400年末頃から単発的に英国人は

米国に渡っており、定住した人もいるそうです)その後1643~45年にオランダの

東インド会社長官(社長)のブラウエルが再調査に入るのですが、現地住民の

マオリ族の内戦が激しく介入をあきらめたと言います。その後オーストラリアと

同じく英国人のキャプテン クックが100年以上たち再確認をしたそうです。


先住民のマリオ族は1000~1200年頃イカダやカヌーによって、ハワイ方面から

徐々にニュージーランドにたどりついたと言われています。オーストラリアと違い

非常に部族間の対立が多く、統一した国と言う概念がなかったそうです。


英国人を含め欧州人も1790年頃から徐々に(オーストラリアを寄港地にしたり)

渡ってきましたが、麻や後の捕鯨基地、(その又後で南極探検の第一次ベースキャンプ

なんて言うのもありますが)として移住者が増え始めました。


しかし、度重なるマオリの内乱で英国主導で調停が行われ指導と言う事で

1840年に正式に英国植民地になりました。(スペインがインカなど中米の

インディオの内乱に乗じた展開に近い面もありますが)マオリの代表と合意

した話し合い後と言う事です。もしかしたら、英国も米国のインディアン、豪州のアンポリジニ

など先住民を追いやったことでの反省?(やり方の転換?)があったのかもしれません。

くしくも、明治維新の20年位前です。



英国の特徴の声門閉鎖アクセントが1900年初頭に広まったと言われてます。

基本はオーストラリアと同じく初期移住者(移民ではない)1790年頃なので

オーストラリアと似たアクセントが広く普及してます。ただし1840年の正式な

植民地宣言もあり、大量の移民はこの時代以降です。1840~1900・1910年

位までの英国本土の発音の変遷に影響された度合いの人々が豪州や南部

アフリカ(後術)多いという事です。彼らの多くは英国人との意識が強く(カナダの

モントリーオール一体=フランス人=と似て又一部の米国ボストンや南部の

アトランタ一帯の一部の人たちも同じ意識だそうです)独立すると言う感覚が

薄かったようです

従って、留学や就労も含め、英国に行く人が多いのもの特長で

国内では英国風のしゃべり方教室もあるそうです。

とはいえご心配なく。普通にはオーストラリアに似た(彼らよりはちょっと新しい)

ロンドン下町言葉が標準です。ただしTVのキャスターなどはなるべく現在ののロンドンの

普通の発音(下町言葉ではない)話す人が多いです


豪州よりはちょっと洗練されているとの出張でしょうか?間違っていたら

豪、NZの方々謝罪します