【奪われるという恐怖心】と【与えたいという安心感】
私は
🇺🇦ウクライナのキエフにも
🇷🇺ロシアにも 周辺諸国にも
昔からの親しい友人達が住んでおり
皆様同様
大変 心を痛めておりますー
世界の平和を 今まで以上に
より強く祈り続けております。
皆、友人達は
争いを望まない 人の幸せの為に生きている様な友人達です。誰もが望まない争いー
今回の紛争について言及する前にー
誰が悪いか、何が悪いか ではなくー
国のリーダーに責任を被せる前に
まずは 弱い人間として 私も
この排除のシステムを生み出している 一人として 深く反省しつつ
自分はどうすべきか?
を祈り求めたいと願いー
今回 生まれて初めて
⛪️お誘い頂き
修道院に宿泊させて頂き、
二日間にわたり
平和への祈りの黙想会🕊に
夫婦で参加させて頂きました
【お写真】修道院からのぞむ富士山と二子玉
昨年末 お寺に宿泊させて頂いた時も
朝から 鏧の心地よい音で目覚め
住職様と
平和のお祈りを早朝から致しましたが
今回は
教会の🔔鐘と共に
朝から
司祭様と数名で
平和のお祈りをしました
なんとも 幸せな時間♡
黙想会なので
基本 食事中も祈っている為
私語厳禁♪
お祈りと共に
聖書研究を行なったが
聖書研究は本当に楽しくて面白い♪
専門家の先生から
お話しを聞いて勉強するのも
とてもありがたいですが
今回は 個々の自分の深読みがメインで
頭で読み解く聖書の研究ではなく
初めて
心で読み解く聖書の分かち合いをさせていただいた
黙想会では
五感で聖書を読み解くので むしろ
知識が無いだけに
何も知らない信者でない方人の方が 良い回答をする、と司祭様。
絵や色で聖書箇所の感想を描いた事がなかったのでー芸術での表現で自己分析がより深く出来ました
夫は 哲学の専門家なので 聖書研究になると目がらんらんと輝き
なんとも幸せ全開笑顔!
二人とも
声も嬉しくてどんどん大きくなっていた(笑)
聖書を読み解きながら
歴史的永遠と続いている争いと排除に対し
他者を責める前に
自分のすべき事が改めて
見えてきました
豊かな時に大感謝!
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ー私が考える排除と争いの源ー
【奪われるという恐怖心】と【与えたいという安心感】
🚲ある自転車屋さんとの出逢い
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ある日の事ー
夫のイギリス製の自転車が壊れ 特殊な修理が必要となり
普段は行かない 遠くの大手の自転車屋さんを訪問したー
お店の入り口の前に修理して頂きたい自転車を止めて
早速お店に入ろうとしたところ
「ここは駐輪所ではないから 自転車止めないでください」と
強ばったお顔でお店の方が勢いよく出て来られた。
「いらっしゃいませ」ではなく 最初の声かけが 【排除の言葉】だった。
私達夫婦が 悪さをするような 人間に見えたのだろう。
大手の自転車屋さんにとって 何か悪さをしでかす私達は
悪魔に映ったようだ
部品について伺ったが、見たことが無い特殊な部分なので
修理できないと仰られ、殆ど門前払い。
がっかりしてすごすご地元に戻り ダメ元で
地元の個人経営の自転車屋さんに 立ち寄った。
先程と同じように自転車屋さんの入り口の前に自転車を止めたら、
「いらっしゃいませ」と笑顔で迎えられ
凹んでいた私の自転車のタイヤに気がつかれ、空気を無料で入れてくれた。
部品について伺ったら、やはり修理は不可だが
「この部品は、お店では売っていないけれど、
この部品だったら代わりがきくから、さあどうぞ」と部品を
手渡しして一時的に修理して下さった。
「ありがとうございます♡お値段はいかほどですか?」とお聞きすると
「売っている商品でないので 無料ですよ♪どうぞ」とにっこり!
「自分のお店では修理の対応できないけれど、きっとこのお店でしたら対応できるかと思います」と わざわざライバル会社の連絡先と、部品の製造元を検索してメモを渡して下さった。
笑顔、無料の空気、無料の部品、情報のプレゼント。
完全な修理はしてないという事で修理代も無料!
つまり 全て 私達に対して 奉仕をしたのだった。
嬉しくなって 買う予定でないものを大量購入した♪
つまり 地元の自転車屋さんにとって 私達は 天使のようだったのだろう。
同じ日、同じ格好、同じ条件の
私達なのに 一方では 悪魔のように思われ
一方では 天使のように思われた
つまり
同じ人間であっても 同じ格好をしていても
【人の心の有り様】によって 相手は 悪魔にも天使にも映る、という事である
何故このような事が起きるのか?
大手の自転車屋さんからは
奪われたくないという 恐怖心から 疑いから 排除し
地元の自転車屋さんからは
喜んでもらいたいという 安心感から 喜びから 受容した
自分と他人が同じ尊さと思えば 親切になれるし
自分と他人を異なると思えば 排除する
自己が大きい人は 世界中家族だし
自己が小さい人は 世界中敵だらけである
このように日常的に
【同じ人】
に対する 真反対な行動は 実に よくある事で
SNSで 慈善活動する素晴らしい芸能人に対して
良い事をすればするほど
才能があればあるほど
有名になればなるほど
その人が 善行をしてもー
むしろ 善行をするからこそ
憎む人もでてくる
つまり
自己が小さい(と自分で思っている)から
他人が幸せを
自分の幸せと思えない
むしろ、
他人が幸せなそうだと
惨めになってしまう
大いに傷ついて
自分を小さくしてしまって
いる人が多いという事ー
大手の自転車屋さんはきっと
過去に 無断駐輪されて 被害を被り
何らかの傷ついた経験が
あったのだろうーだから
お客様を信じられないのだ
しかし
これは
その店の存続に関わります。
大手の立派なお店なのですが
私達以外お客様は いなかった
逆に
一見 無料サービスばかりで儲かってなさそうな
小さな地元の自転車屋さんは
何故か お客様が沢山入っていたー
10年後 20年後
どちらのお店が より繁栄するのかー?
答えは もう 明らかである
全く同じ人間、私自身であっても
この自転車屋さんの様に 出会う人によって
人の言動は色とりどり。
大手の自転車屋さんにとっては 奪っていく敵
地元の自転車屋さんにとっては 喜ばせたい家族
ある人にとっては 攻撃と批判の対象にしたい人
ある人にとっては 尊重と尊敬の対象にしたい人
人も 組織も 国も 世界も 同じ
そう思うのだーーーー
世界で起きている事も
国で起きている事も
目の前で起きている事も
全て 同じ原因。
自分の心が
自分の有りようが
言葉
行動
現実を
決めているー
まず 日々の自分自身の言動が
社会や他人から
奪われる恐怖心から出たものなのか
それとも
社会と他人に
与えたい安心感から出たものなのか
それが一番大切ではなかろうか?
個人も 組織も 国も
望む結果は 破壊と衰退なのか?
創造と繁栄なのか?
だからこそー
笑顔になれないような 状況下で 笑い
ため息しか出ない 状況下で 感謝しつつ
無限大に豊かに繁栄し広がる
美しい宇宙を仰ぎ見ながらー
いかなる悪天候でも
希望を捨てず 実りを信じて
ひたすら種を蒔いてゆく
農業人の様に 真っ直ぐ歩んでゆきたいー
身を守る盾も 財産も
握りしめれば 失い
手放せば 得る
この世の真実であり 自然の摂理ー
個人も 国も
助け合う方が 繁栄する
だから 自分に
どんなに 罵声を浴びせられようと
攻撃されようと
感謝と笑顔だけは
壊す事を 受け入れない
罵声だろうと 鉄砲だろうと
この幸せは 他人には 絶対壊せない
自分を苦手な人がいたとしても
憎まれていたとしても
自分だけは
苦手な人も嫌いな人もいない
誰も憎まない
だから
誰にも笑顔と幸せを私から奪えない
自分が壊さない限り
みんな 幸せは【他人には】絶対に壊せない
あの人や
あの上司や
あの国のリーダーや
邪魔者を排除すれば 私は 国は 幸せになれる
ーというのは
2000年前からの聖書で言われている
「人間が自分が正しい 自分が最善である」
とついつい理解できない相手がいなくなれば
平和になると考えてしまう」強い正しいリーダーを求めるメシア思考であり 排除と戦争の原点とされています。
つまり、
西側、東側どちらが 加害者か?被害者が?
悪か?善か?と分裂させる【自分の思考】
そのものが
排除を生み出していると 思うのです
2000年前から続いてきた
いつも私達 人間が いつも してきた 排除
歴史を重ねた私達は その末路を知って
います
だからこそ そうではなくー
この人が悪い この国が悪い ではなくー
戦争や排除反対の言葉で泣き叫び
苦しみや憎しみの声をあげるよりも
全人類 平和賛成!を笑顔で歌い続けたい
暗闇の世の中なら なおさら
嘆きを捨てて
明るい灯火を つけていきたい
たとえ
一人になったとしてもー
平和を信じ切り
排除の方向と争いと
真逆の方向に
喜びながら 進んでゆけたら 嬉しいーーー
誰もが 排除されず 攻撃されず
一刻も早く 互いに傷つく 攻撃をやめて
ウクライナも
ロシアも
全世界が
みんなが いつも 幸せで 笑顔でありますように!