
私は裸眼派!
裸眼で~す!
中学2年の時 仮性近視になり
それ以来ずーっと
眼鏡とコンタクト使いのチコリンだった。

それが6月から裸眼で見えるようになったのです。
何故でしょう?
聞くも涙話すも涙で長くなりますが
お暇な方はお付き合いください。
さて
近眼は年を増すごとにひどくなり
昨年末では既に盲目状態
天気次第で信号も見えないこともあり
周りの車が止まれば私も止まる
隣の車が進めば私も進む
右折の時はもう必死
一か八か神頼みの運転はストレスの固まり
疲れ目によいという目薬も何種類も試してみたがダメ
従兄はPCのしすぎと指摘
確かに起きたら一番にPCを立ち上げて
寝るまでつけっぱなしだったけれど・・

とうとう昨年末には手相も見えない
本も読めない テレビの字も見えない
パソコンも1センチ近よななければ
見えなくなってしまい

怖くなってしまった

今年の一月 勇気を出して時間を作って
妹に運転してもらって眼科に行ってみたのでした。
するとな、なんと
白内障というではないですか


知らぬ間に加齢?




「こんなになるまでよくほっておきましたね」
運転禁止!ドクターストップがかかってしまい
どうしても手術しなくてはならなくなったのでした。
そして大病院に紹介状を書いてもらい
検査前の医師の検診でさえも
4月に予約だというではありませんか
それまでにも白内障が進むかもしれないから
ひどくなったら他の病院を紹介すると言われました。
加齢病になってしまったかと落ち込んでしまった。
そんな中 3月1日に母が大腿骨骨折で入院
悲嘆に暮れている私を救ってくれたのは
隣のベッドの患者さん(私の天使)
母がこんなになってるのに
私はほとんど目が見えなくなって
目の手術は6月以降になりそう
それも1週間の入院
今の我が家は私が不在だと
やっていけない旨を吐露した際
白内障なら日帰りで上手に手術してくれる
○○眼科がいいと
紹介してくださった
絶対見えるようにしてもらえるって
励まされ元気回復
幸 不幸は背中合わせというけれど
本当だった。
母がとてつもない痛い目に遭ったけれど
そのおかげで私の目の救い主に出逢えた
そして母が退院し
5月に2週間ごとに両眼手術して治してもらったのだ
すると手術しても視力はあまり出ないと前の眼科で
テスト結果宣告されていたのに
なんと信号も向こう3個まで見えるし
手相も本も読めるようになったではないか
嬉しくってたまりません。
手術は怖がって寸前で止める人もいると
聞いていたが
私はほとんど視力なかったので
背に腹は代えられなかった
ただ怖いのは怖かった
目なのに手術着を着なくてはならないし
目の消毒の時が一番痛くて気分が悪くなりそうだった
おまけに私の血圧が200超え
右目の手術中 下がらなかったって
左目の手術はこれではできないので
今からすぐ内科に行くようにと
有無を言わさず回されてしまった
低血圧と思っていたのが高血圧になっていたのだ
これだけストレスの毎日が数年続いているのだから
しょうがないか・・・
大事に至る直前に見つけてもらってよかったと
皆が言う・・・
おかげで今も1ヶ月ごとに内科
2週間ごとに術後の内科検診
でもどちらも順調だし半年ぶりに運転できるようになり
ストレスもだいぶ減少してきました。
気が付けば裸眼で見えていると感激する日々
コンタクト 眼鏡のわずらわしさから逃れられて
本当に夢のようです。
橋本市長がレーシックしたとき
羨ましく思いましたが
よほど腕の良い先生でなければ信用できないと
思っていました。
そしてこのたび
白内障の手術でこんなに見えるようになったのだから
近眼だからといってレーシックしてなくて良かったと
思いました。
すると先日 レーシックを日本に初めて導入した先生が
テレビで言っていました。
もうレーシックは薦めていません
白内障の手術をすれば治るのだから的なことを
話していました。
白内障の手術の最近のレンズは100年持つから
一度手術すれば二度と手術しなおす必要ないのだそうです。
例えまた濁ってきてもレーザー治療で数秒で治せるのだそうです。
白内障は人間は誰でも避けられないもので
ただ個人差が大きくて一生手術まで行かない人も
いるのだそうです。
父もそうだった。
私は白内障のおかげで目の中に近眼のレンズを入れて
裸眼で生活できるようになったのです。
感謝感謝です。