宮城県多賀城市へ 2日(土)20時 〜 4日(月)7時
先日、救援物資を宮城県多賀城市に記録係兼ドライバーとして行ってきました!
(最下部に写真(抜粋した)をアップしたリンクがあります。)
2日PM20:00~
待ち合わせのTi-Da近くの倉庫へ!
ここはアキラさんやレンタロウ君、ハッタイ君などが中心となり
被災地に食料や生活必需品を直接被災地まで届けている。
大きく告知する訳でもなく人から人へと自然に伝わり、
横須賀中からの救援物資がココに集まっている。
と
言う事で
トラックに救援物資を積み込みながら
写真を撮りつつ。。
3日AM1:00~
2tトラック3台で横須賀出発!!!
東北道は福島辺りからデコボコでトラックが跳ねる跳ねる
放射能が気になりつつも無事宮城県仙台入り
3日AM7:00~
現地で案内して頂ける森さんと合流。
仙台駅を通り、比較的被害が少ないのかなという印象でしたが
仙台駅から数分、多賀城市に入るとコレまでの景色が。。。。
ニュースなどでは被災地の映像をみて状況は分かってるつもりだったけど
その光景を目の当たりすると何とも言えない感情が溢れて来た。
そこから
多賀城市役所にて許可などをもらい
行動開始!!
避難所には最後に行く事にし
救援物資が行き渡ってない地区に移動。
トラックを止めて回りの住宅に声をかけながら住民を呼び集め
なるべく全員に行き渡るよう手渡しで
生鮮食品、トイレットペーパー、飲料水などなど
渡して行き
また地区を移動してを繰り返し
合計で8カ所ぐらい廻ったのかな。
俺は子供を見つけてはお菓子やおもちゃを渡したりしていた。
スッゲー喜んでくれた。
自分の子供と同じぐらいの子を観るとたまらない気持ちになった。
物資を配っていて聞けた声で
「初めてボランティアの人が来てくれた」
「コレであと一週間生きられます。」
など涙ぐみながら言っていた方や
「今度あっちゃ行けないけど、もし横須賀が困ってたら行くね!」と
言ってくれた方や
「さっき貰ったお菓子を子供に渡したら嬉しがって、久しぶりに笑ってくれて、
ホント、ホントありがとうございます!」
とわざわざ戻って来て伝えてくれた同じぐらいの年のお父さん
クラッちゃいましたね。ほんと。。
地域柄というのか
東北の人は温厚で我慢強いなと思った。
中にはガッツイて箱ごと持って行こうとする人も居たけど、
こっちから声をかけるまでずっと待ってる人とか
「自分はまだいいんでお年寄りとかに先に渡して下さい!」という人などなど
この状況下でこの精神力は凄いなと思った。
同じ状況が横須賀、横浜でおきたらどうなるのかな?
はたまた関西の方はどうだったのかな?とか。。。
物資を渡している時の中で分かった事
避難所に食料をもらいに行きたいけど
もらいに行く為の交通手段がない人達がたくさん居る。
食料をもらいに行っても、
1人、1日パサパサのおにぎり1個とパンを1つ。。。とのこと
食料など行き渡っていないという現状を目の当たりにした。
先進国である日本で震災津波の被害から2週間以上がたってもこの状況って。。。
日本は管理、規則、などなどありすぎて緊急事態に弱い国だなと痛感した。
3日PM19:00~
最後に若林区の避難所の学校に野菜、灯油などをおろし
現地の案内してくれた森さんとも別れ
地元横須賀を目指し出発!
4日AM1:00~
那須塩原に次回の救援物資があるとの事だったので
寄りましてトラック一台分に積み込み再度目指せ横須賀!!!
4日AM5:00~
横須賀到着!!!
荷物卸してジョナサンで朝食&ビールしながらアキラさん、レンタロウ君に報告
4日AM7:00
無事我が家~!
玄関で放射能喰らってるかもしれない服をゴミ袋に入れて
風呂は入って居間で気絶。。。。。
起きたのは夕方18時頃。。。。
今回実際に現地に行って思った事。
国とか政治とか原発とか計画停電とか真実を伝えない報道とか色々とややこしい事があるけど
一番大切な事は、人が人にどれだけ本気で接していけるか!?
って事。
国や東電も本気で国民=人に対して真剣に本気で考え行動すれば
色々と良い方向に向かって行くのでは?
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写真はこちらです。
今回は写真を取り急ぎアップしましたが
映像の方も出来る限り早くアップします。
一緒に行ったみなさんお疲れさまでした!
(最下部に写真(抜粋した)をアップしたリンクがあります。)
2日PM20:00~
待ち合わせのTi-Da近くの倉庫へ!
ここはアキラさんやレンタロウ君、ハッタイ君などが中心となり
被災地に食料や生活必需品を直接被災地まで届けている。
大きく告知する訳でもなく人から人へと自然に伝わり、
横須賀中からの救援物資がココに集まっている。
と
言う事で
トラックに救援物資を積み込みながら
写真を撮りつつ。。
3日AM1:00~
2tトラック3台で横須賀出発!!!
東北道は福島辺りからデコボコでトラックが跳ねる跳ねる
放射能が気になりつつも無事宮城県仙台入り
3日AM7:00~
現地で案内して頂ける森さんと合流。
仙台駅を通り、比較的被害が少ないのかなという印象でしたが
仙台駅から数分、多賀城市に入るとコレまでの景色が。。。。
ニュースなどでは被災地の映像をみて状況は分かってるつもりだったけど
その光景を目の当たりすると何とも言えない感情が溢れて来た。
そこから
多賀城市役所にて許可などをもらい
行動開始!!
避難所には最後に行く事にし
救援物資が行き渡ってない地区に移動。
トラックを止めて回りの住宅に声をかけながら住民を呼び集め
なるべく全員に行き渡るよう手渡しで
生鮮食品、トイレットペーパー、飲料水などなど
渡して行き
また地区を移動してを繰り返し
合計で8カ所ぐらい廻ったのかな。
俺は子供を見つけてはお菓子やおもちゃを渡したりしていた。
スッゲー喜んでくれた。
自分の子供と同じぐらいの子を観るとたまらない気持ちになった。
物資を配っていて聞けた声で
「初めてボランティアの人が来てくれた」
「コレであと一週間生きられます。」
など涙ぐみながら言っていた方や
「今度あっちゃ行けないけど、もし横須賀が困ってたら行くね!」と
言ってくれた方や
「さっき貰ったお菓子を子供に渡したら嬉しがって、久しぶりに笑ってくれて、
ホント、ホントありがとうございます!」
とわざわざ戻って来て伝えてくれた同じぐらいの年のお父さん
クラッちゃいましたね。ほんと。。
地域柄というのか
東北の人は温厚で我慢強いなと思った。
中にはガッツイて箱ごと持って行こうとする人も居たけど、
こっちから声をかけるまでずっと待ってる人とか
「自分はまだいいんでお年寄りとかに先に渡して下さい!」という人などなど
この状況下でこの精神力は凄いなと思った。
同じ状況が横須賀、横浜でおきたらどうなるのかな?
はたまた関西の方はどうだったのかな?とか。。。
物資を渡している時の中で分かった事
避難所に食料をもらいに行きたいけど
もらいに行く為の交通手段がない人達がたくさん居る。
食料をもらいに行っても、
1人、1日パサパサのおにぎり1個とパンを1つ。。。とのこと
食料など行き渡っていないという現状を目の当たりにした。
先進国である日本で震災津波の被害から2週間以上がたってもこの状況って。。。
日本は管理、規則、などなどありすぎて緊急事態に弱い国だなと痛感した。
3日PM19:00~
最後に若林区の避難所の学校に野菜、灯油などをおろし
現地の案内してくれた森さんとも別れ
地元横須賀を目指し出発!
4日AM1:00~
那須塩原に次回の救援物資があるとの事だったので
寄りましてトラック一台分に積み込み再度目指せ横須賀!!!
4日AM5:00~
横須賀到着!!!
荷物卸してジョナサンで朝食&ビールしながらアキラさん、レンタロウ君に報告
4日AM7:00
無事我が家~!
玄関で放射能喰らってるかもしれない服をゴミ袋に入れて
風呂は入って居間で気絶。。。。。
起きたのは夕方18時頃。。。。
今回実際に現地に行って思った事。
国とか政治とか原発とか計画停電とか真実を伝えない報道とか色々とややこしい事があるけど
一番大切な事は、人が人にどれだけ本気で接していけるか!?
って事。
国や東電も本気で国民=人に対して真剣に本気で考え行動すれば
色々と良い方向に向かって行くのでは?
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写真はこちらです。
今回は写真を取り急ぎアップしましたが
映像の方も出来る限り早くアップします。
一緒に行ったみなさんお疲れさまでした!












