修養 | 小川健志の破壊的イノベーション

修養

みなさん、こんにちわ。小川健志です。

いろいろと勉強していた週末ですが、


特に新渡戸稲造の『修養』に取り付かれ真剣に考えぬいた小川です。

まだ読み終えていませんが、人生の教訓とも言える本です。


修養のある人とない人との相違とは

『僕がここにいう平凡の務めとはその性質において平凡であるも、

 これを実行する人は、 決して平凡の人と称すべきでない。

家の前を毎朝時を定めて『納豆、納豆』と売って通る納豆屋がある。

僕はこの納豆屋を非凡なる女丈夫であるとは言わぬ。

またその職業も平凡である。売る事も平凡で、奇とすべきことはない。

しかし彼女が毎朝時間を違えず、

 その値段を崩さず、

 品物を吟味し、
 
 買い手に丁寧親切を旨とし、

そのあげ得た利益で、家に病んでおる夫を看護し、

背に負える子供を養うという心がけがあるとすれ ば

彼女は非凡な者ではあるまいか。』


と新渡戸稲造は述べています。

つまり人は職業や学歴をみて人を平凡と非凡とを区別するが、

しかし実際は平生の心がけと品性を

標準として判断するのが妥当である。

ということですね。

日本の評価基準は『どこに居るか』であって、『何をしたか』でない。

まさに新渡戸稲造は『どこに居るか』でなく『何をしたか

そして日々の心の持ち方が重要だと述べていると感じました。



共感しっぱなしの土日でした。