私に転機を与えた人① | 子どもの生きる力を育み、心を育てる教育を真剣に考える研究所

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現役幼稚園教諭が
子どもたちと関わる中で感じたことや想いなど
子どもたちのことを多岐にわたって発信しています。

 
みなさん、おはようございます(-^□^-)
 
 酒井 沙弥香です
 
いつも、いいねや読者登録をありがとうございますハート
 
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さて、今日の内容へ
今日は「私に転機を与えた人」について
書いてきますね。
 
ご興味がある方、お付き合いくださいませ星

 

*書いているうちに長くなることが分かりましたので、

こちらは2日に渡ってお送りしたいと思います。

 
 
皆さんも、生きていく中で
転機になった出来事や人物が
いるのではないでしょうか?
 
私もそうで、転機を与えてくれた方がいます。
 
今でも、私はその方のファンで
書籍も出版される度に購入して
参考にさせてもらっています流れ星
 
ブログも毎日拝読しています。
 
セミナーにも行きましたし
握手するチャンスを手に入れるために
長蛇の列にも並びました。
 
 
と、そろそろ
「ケチケチしないで誰なのか教えてよ!!」
っという声が聞こえてきそうなので・・・
(え?気のせい??笑)
 
発表しまーす。
 
知っている方は知っている
有名人物・・・
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ワタナベ薫さんですハート
 
 
 
 
 
「あー、知っているわ!」
と思った方も多いと思います。
 
 
私が初めて知ったときも
人気の方でしたが
今ではさらに認知度を上げ
人気もうなぎのぼりですねキラキラキラキラ
 
知らない方はこちらから→
 
話を戻しまして
少し、私の身の上話にお付き合いくださいませ。
 
なぜ、出会ったのか?
何があったのか?
その経緯を書いていきます
 
2011年の春
私は大学を卒業後に親元を離れ
単身東京の幼稚園に新卒で入社しました。
 
私の大学時代の友人はほとんどが地元に残り、
その当時、女の子で地元をでることは珍しかったです。
 
ましてや、近場の神戸や大阪ではなく
東京というのは本当にマレなことでした。
 
なぜ、そこまでして家を出たのか?と
聞かれれば
 
シンプルな答えは
「生活面でも精神面でも自立したかったから」

 

私の育った家庭は有難いことに

母が専業主婦で

なおかつ、なんでもしてくれる母でした。

 

また末っ子だったので

甘えん坊でした。

 

小さいころは病弱だったこともあり

周りに心配ばかりかけていましたし

母に守ってもらっていました。

 

今では想像もつきませんが(笑)

 

幼児期の私は引っ込み思案で

すぐに仲間はずれにされて

メソメソ泣くような子どもでした涙

(今の私ならやり返すな笑 しかも倍返しかもね)

 

そんな私ですが

それなりに人生経験も積みましたが

それでもやっぱり甘ったれでしたし

 

何よりすべてのことをしてもらえるため

家事や料理は一体どんなものやら?

レベル

 

このまま将来のことを考えた時に

「まずいな・・・」

と思う自分がいました。

 

そんなこともあって親元を離れることに

したのです。

 

で、東京にしたのは

物質的に距離を離すため。

 

近場過ぎると

甘ったれの私は

何が嫌なことがあったら

逃げ帰る恐れがあったから

 

絶対に逃げ帰れない環境を

自ら設定したわけです。

 

でも、自分で選んだ道だったけれども

正直1年目は本当にキツかった。

 

もう2度と同じ経験はしたくない!

というのが本音ですし

今振り返っても同じ気持ちですoopsoops

 

もちろん、その時の経験は

今の私の役にたっていますし

感謝はしていますキラキラ

 

が、もう一度経験したいかは別の話です笑

 

・周りに親しい友人もいない

 

・新しい生活。慣れない一人暮らし

 

・通勤電車は信じられないくらいぎゅうぎゅう

 

・東日本大震災の混乱

 

・新しい職場の洗礼

 

・一緒に組んだ先生と全く合わない

(今から振り返ったらパワハラだと思います)

 

そんな時にたまたま知ったのが

”ワタナベ薫さんのブログ”だったのです。

 

今からもう6年ほど前の話です

 

明日へ続く・・・

 

では今日はここまで

最後までお付き合いくださり

ありがとうございます

今日という日が素敵な日となりますことを

お祈りしておりますハート