父が亡くなったと知ってから、父がいる何百キロも離れた先の病院まで急いで行くことになり、父の仕事の関係から、ヘリコプターに乗っていった


人生ではじめてのヘリコプターは周遊用なんかではなく、4時間も乗るには精神がおかしくなるほど乗り心地の悪いものだった



病院につくまでの記憶はまったくない

ただ覚えているのは、涙の粒が1秒たりとも止まらなくって、着ていたジャンバーの袖がバケツにつっこんだくらいに濡れてぐしゃぐしゃだった


昼から夜までずっと泣いていた


病院につくと未だに信じられていなかった父親の死に直面する

病室に入るまで、まるでドッキリのように父親が笑ってからかってくるのではないかと期待した


いつもみたいにケタケタ笑ってるのではないかと思って


そんな期待も叶うことはなく、ベッドにいたのは寝ているかのような父親で、顔には小さな傷がいくつもついていた


再びもう父親とは会話することも、スポーツすることも、キャンプに行くことも、なんにもできなくなってしまったことを思い知り、涙の勢いが増した


父親とはいえ、30代後半


40年も生きられなくて、妻と、子供2人を残して逝ってしまったのだから

本人が一番死にきれないことだろうとは思う




父は、職務中の交通事故で亡くなったということだった


山道でのカーブで、反対車線からきたトラックに正面衝突されたらしい

その事故で亡くなったのは父親だけで、同乗者、若いトラックの運転手も生きている


何とも言えない気持ちだ


小さいとはいえ、トラックの運転手への気持ちは恐ろしいほど憎しみにあふれてたと思う

残念ながらいまでも、その運転手がいなければ・・・と思うこともある



大人たちがその時何をしていて、何を話していたかはまったく聞いていなかったし、見てもいなかった

人が死んでしまうということを理解できていなかった幼稚園児の妹をうらやましく思った


その日すぐに、またヘリコプターで自分の家のほうまでもどった

ヘリコプター内には父親も乗せられ、私たちが座っている横に横たわらされていた


少し横を見れば、顔に布をかけられて横たわっている父親がいる

それを見るのはすごく酷だった



自分の街に到着すると、祖母がかけよってきた


自分の息子が突然死んでしまった、それは父親を亡くした私の立場よりつらいのかもしれない

比べる必要はないけど、息子にしろ、父親にしろ、人にこうも愛される人が一人突然いなくなってしまった



それから3日くらいは流れるように時間が過ぎて行った

親戚がたくさんうちに集まり、みんなががんばれという


お通夜、お葬式は何百人もの参列者のもとで行われた

父親の同僚の父を惜しむ声などを聞いていると余計つらくなった


でもそのときは、多くの親戚、いとこ、友達に囲まれていたので、泣きながらも笑って時間を過ごすことができた