ふと著名なブロガーにメールしてみたいと思って、
その前に、私が今、何を知りたいと思っているのか、そしてそれは何故なのか明確にしたいと思った。

パキスタン人の男性と結婚し、離婚した私にとって、日々過ごす、子供や母との時間は、とても貴重なもので、幸せだと思う。

結婚当初、何も恐れず偏見を持たず、偏見を持たせず、国の名も、上司との交流も積極的に元夫につなげようとし、公開していた私は、現実的には、そこ自体かなり大きな公共の場であり、先輩にも後輩にも話していた訳だし、隠しようは、無い。

にも関わらず、今、周囲の人に告げるのをためらう。相手が知らないとは思っていない。偏見を恐れている訳でもない。

ビクターフランクルどころか、小野田寛郎氏の言葉の中に、それを見出し嬉しかった。
生きる意味があること。フィリピンのジャングルの中で、それは30年の長きに渡り、孤独でも貫かれた。生きる意味があること。

今、祖父母が、どれだけの苦労を乗り越え父母を育てたかが、おぼろげながらわかる。

そしてそれは、戦後の苦労、原爆投下、大空襲、大陸/半島からの殺戮する朝鮮人ソ連人からの撤退を含む。

生きる意味に、私は子供が、日本人として当たり前の、自由と安全を持ち、幸せな家庭を築くこと、まで含める。日本の中で、これまでのところ、周囲の人々の温かな支援を、得てきている。混乱もあったけれど、知った人には、力ある人には救う言葉を貰い、感謝している。

ただ、普通の人に、元夫の国の名を伝えることにためらうのは、子供が職業を選ぶときに、あるいは結婚するときに、不自由があったり、あるいはイスラム圏から、不利益を被るんじゃないか、もしくは心無いリークで、万が一暴力があってはいけないと思うためだ、と思う。

離婚確定まで、夫との約束は果たした。今でもまだほとんど果たしたまま。イスラムへの理解と敬意は増す。そして議論せず、質問しないが故の安全と自由を持つ。

子供は、日本人としての安全と自由を、保つ。

すると、なぜ、日本人は大空襲を受け、原爆を投下されたのか?という疑問に行き着く。
日本人としての世界史の潮流の中での立ち位置。

匪賊や卑族の概念ではなく、日本人として当事者として。
だから今、他の本や議論、ブログと共に、ねずさんのひとりごとの集約された情報が意味を持つ。
日本史が生き生きと輝き出す。

そして私は、再度、ドンデ エスタ エル ハボン ー 高橋先生のサイトへ戻る。
そこで、ロスチャイルド家の奥様の言葉を見つけた。中卒で、結婚されている。

自分を敬うこと。

彼女は日本が大好きだ。 奥ゆかしく、風紀が乱れていない。独創的。ー


私は、日本を愛し、日本を誇りに思う。 日本人が安心して住める日本を維持したい。
そして、日本に敬意を払える異国の方に、心から寛いでいただけるおもてなしの姿勢を持ちたい。